▶東日本大震災復興支援「きいて、うたって、おどってみらんしょ 思いやりコンサート」(高11期 山田さん)

▶東日本大震災復興支援「きいて、うたって、おどってみらんしょ 思いやりコンサート」(会津若松市と横須賀市の歌の絆)

山田茂雄さん(高11期)が会長を務める横須賀市合唱団体連絡協議会のみなさんによる、2011年に起きた東日本大震災復興支援のための社会活動「きいて、うたって、おどってみらんしょ 思いやりコンサート」をご紹介します。今年は、残念ながらコロナ渦で中止となりましたが、毎年、横須賀から会津若松までバスをチャーターして駆けつけています。

横須賀高校OB合唱団の小川胖さん(高9期)、和田良平さん(高17期)、石渡良夫さん(高21期)、石渡明美さん(高23期)、三縄啓子さん(高26期)、三縄肇さん(高29期)も参加されています。すばらしい活動だと思います。横須賀市合唱団体連絡協議会発行の「合唱連だより」の記事を山田さんのご了解を得て転載いたしました。(高25期 廣瀬隆夫)

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会津若松市と横須賀市の歌の絆「きいて、うたって、おどってみらんしょ 思いやりコンサート10年目を迎えて」

東日本大震災の混乱冷めやらぬ2011年6月、小さなコンサートが会津若松市文化センターで開催されました。神奈川県横須賀市で活動するさまざまな合唱団の有志と会津若松市の合唱団、そして民謡グループによる歌のコンサートです。 

観客はけっして多くはありませんでした。それでも、その歌声は震災後の原発事故による風評被害に苦しむ会津若松市民を癒やし、明日の一歩を踏み出す勇気を与えてくれるものでした。

あれから10年。歌の絆は途絶えることなく、毎年コンサートが開催されてきました。それが「きいて、うたって、おどってみらんしょ思いやりコンサート」です。

<歌でみんなを元気にしたい。一本の電話が結んだ絆>
始まりは一本の電話でした。会津民謡いろは会の会主森川貞治さんは、2011年春、テレビで、大勢のボランティアが福島県のために力を尽くしてくれている姿を目にし、ふと、「どうにかして、みんなを元気づけたい。今、自分にできることは何だろう」と思ったそうです。これまでたくさんの歌い手を育てあげ、夏には市内各所で行われる盆踊りで謡い、演奏することで活気を生み出してきました。自身が生涯を注いできた歌の力で、今こそ会津の人を笑顔にしたい。

さまざま頭を巡らせていく中で、あることに気付きました。「自分には民謡を通してできた友人が全国にいる。彼らに『会津に来てくれ。どうか会津若松市民を、福島県民を元気づけてほしい』と言ってみよう」。森川さんの呼びかけに4つの団体が手を挙げてくれました。その中の一つが横須賀の合唱団体連絡協議会だったのです。

<震災の混乱冷めやらぬ中での第1回コンサート開催>
森川さんと横須賀市合唱団との出会いは2006年に遡ります。横須賀市で精力的に活動をする合唱団「コールよこすか」のメンバーが親睦旅行の一環として会津若松市を訪れ、本場の「会津磐梯山」を習いたいと会津若松市に問い合わせたのです。その際、指導にあたったのが森川さんをはじめとする会津民謡いろは会のメンバーでした。

「合唱をやっている方が民謡を習うことは珍しいことでしたから、今思うと結構厳しく指導したと思います」と森川さん。それでもコールよこすかの皆さんの熱心に学ぶ姿に感銘を受けた、いろは会のメンバーはサプライズで宿泊先のホテルにまで足を運び、夕食時、会津の民謡を披露してもてなしたそうです。森川さんから電話を受けたコールよこすかの山田茂雄さんが市合唱団体連絡協議会の会長だったことから、横須賀市では合唱団の垣根を越えてコンサート参加者を募りました。その数およそ90人。予想を上回る人が支援の気持ちを表してくれました。

第1回目のコンサートは準備期間も短く、PRもままならなかったため、客席にはかなり空席が目立っていました。そんな中、横須賀の合唱団の皆さんは「よこすか 思いやり あいづわかまつ」というロゴ入りのTシャツ姿で、会場に美しい歌声を響かせてくれました。それは、優しく包みこんでくれるようなとても感動的な歌声だったそうです。

震災からわずか3カ月後のコンサートでした。地震や原発事故による直接的な被害こそ少なかった会津ですが、おそらく県外の人から見れば会津も浜通りも同じに映っていたことでしょう。福島を訪れるということに、少なからず不安もあったことと思います。それでも、会津若松に来て、会津に住む人たちのために歌ってくれたことに、森川さんは感謝の気持ちが溢れたといいます。そしてその思いはおそらくあの時、会場にいた誰もが感じていたことでしょう。

<さまざまな贈り物やボランティア活動も>
横須賀の皆さんはその時からさまざまな支援を続けています。漁業を営むご夫婦は1回目から来場者へのプレゼントとして、こんぶとわかめのセットを提供してくれています。横須賀のメンバーが仮設住宅を訪れ、ミニコンサートを開いたこともありました。山本八重の実家の菩提寺、大龍寺での清掃活動も欠かしません。そして、コンサートの度に、義援金の寄付も続けてくれています。

コンサートは6回目を迎える頃から多くの人で客席をいっぱいにすることができるようになりました。会津若松市で活動する合唱団や全国一位となった会津若松市立第四中学校合唱部も参加してくれました。そして、最近では、会津若松市出身で横須賀市在住の男性が横須賀の合唱団の一員としてコンサートに参加、夫婦でコンサートの司会をするようになったそうです。歌の絆は広がり深まっています。

<10回目のコンサートでは10年分の感謝を伝えたい>
「これこそ義だと思います」と森川さんは言います。「横須賀の皆さんは、コンサートに参加する費用はあくまでも個人負担だそうです。9回ともなれば、会津のおおよその観光地には行き尽くしたはずです。それでも会津に来てくれる。われわれ会津の人々のことを思って、歌ってくれる。本当に有難いことです。惜しみない賛辞を贈りたい」と目を潤ませます。 コンサートは10回目となる今年で一つの区切りと考えていました。しかし、新型コロナウイルス感染症拡大を受け、残念ながら今年の開催は中止が決定しました。「コロナウイルスが落ち着いたら、また、来年でも開催したいと思っています」と森川さん。

歴史的にも深いつながりがある会津若松市と横須賀市。友好都市の提携を結ぶ会津若松市と横須賀市。ですが、お互いのことを思い、何か役に立ちたいという思いから結び着いたこの歌の絆はそれ以上に強く結ばれているように感じます。また来年、その歌声を聞くことをみんなが楽しみにしています。(合唱連だより題63号より転載)

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