■横高の校歌について
横須賀高校には2つの校歌があります。一つは、坂東武者の名を留めしで始まる横中校歌、もう一つは、天がける白雲かの横高校歌です。旧制中学から新制高校に変わってから、坂東武者では女子が歌いにくく軍国主義的という理由で、團伊玖磨氏が作曲した横高校歌が制定されました。この2つの校歌は、校歌祭でも歌われています。
横中校歌は、難しくて内容が分からない、という声をよく聞きますので、解説を入れました。この意味を理解した後に歌いますと、さらに味わい深いものになります。
- 坂東武者(ばんどうむしゃ):関東生まれの武士。坂東武士。勇猛な武士でした。
- 衣笠城址(きぬがさじょうし):平安時代から鎌倉時代にかけて三浦半島に勢力を張った「三浦一族」の本城「衣笠城」の跡で、今は「衣笠城趾」と書かれた石柱が建っています。
- 四方寸土(しへんすんど):正方形の少しばかりの土地という、へりくだった言い方。横高が建っている土地は、かつては1町(109メートル)四方もあり、曹源寺の壮大な伽藍が建っていました。当時の古い瓦も出土しています。
- 獅子吼(ししく):獅子吼とは、相手が誰であろうとひるむこと無く、正しいことを勇気を持って話しをすることです。百獣の王ライオンは勇敢で、その勇気ある姿勢から「獅子吼」と言います。ここでは、お坊さんの辻説法の姿の比喩に使っているようです。
- 法塔(ほうとう):衣笠十字路の近くに法塔十字路という地名が残っており、そこに日蓮に関係する法塔があります。先日、この法塔があることを確認しました。
- 剛健努力(ごうけんどりょく):規律正しく、
困難なことに出会っても挫けることなく努力して、強い意志と逞しい精神をもって乗り越える ことです。 - 報本反始(ほうほんはんし):中国の「礼記」という書籍に出ている言葉で、「天地の神々や祖先の御霊をお祀りして、その恩顧(情けをかけてくれたこと)に感謝する」というのが元の意味。天地や祖先の恩と功績とに恩返しをすること。漢学者であった吉田庫三校長が、日本の国情に合わせて皇室尊崇の精神と結びつけ、建学の精神としました。記恩が丘には、天皇の尊像を祀った「報本祠」が建っていました。
- 記恩ヶ丘(きおんがおか):大正4年11月10日に、本尊として明治天皇の尊像が奉られ、尊像鎮座式が行われ、社殿を報本祠と称え、「記恩ヶ丘」ということが定められました。(百年の風 学校編)
- 高野辰之先生(作詞):1876年、長野県生まれの国文学者、作詞家。「故郷」、「朧月夜」、「もみじ」、「春が来た」、「春の小川」などの作詞者としても知られています。学校の規則の精神をよく理解し、剛健努力・記恩ケ丘・報本反始・愛と敬などを読み込んで作詞されています。
- 信時潔先生(作曲)
1887年(明治20年)、大阪市出身。大正・昭和時代日本の作曲家、音楽学者、チェロ奏者。東京音楽学校教授。「海ゆかば」の作曲者として有名です。作詞の高野辰之先生とは、音楽学校時代の同僚です。
横高校歌(新制高校)
歌詞原作:三和義彦 一、 二、 三、 |
横中校歌(旧制中学)
歌詞:高野辰之 一、 二、 三、 四、 |
■横高の名前について
【横須賀高校(よここう)】
日本に「よここう」と言われる高校が3つあります。あと2つは、「愛知県立横須賀高校」、「静岡県立横須賀高校」。他の2校も伝統校で、やはり「けんよこ」ではなく「よここう」と呼んでいるそうです。3つの横高の同窓生が集う合同の同窓会などを企画したら楽しいでしょうね。
■横高の校章について
明治41年に、神奈川県の四番目の県立第四中学校として発足した本校は「中」の字を四つよせて校章としました。ちなみに、第一から第三の旧制中学は次のとおりです。
- 県立第一中学校:神奈川県立希望ヶ丘高校
- 県立第二中学校:神奈川県立小田原高校
- 県立第三中学校:神奈川県立厚木高校
横中の校章です。大正2年4月1日に校名を改称して県立横須賀中学校となりました。当地は関東武士ゆかりの地であったので、校章は「菖蒲(しょうぶ)」の音が、武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じであることから、「菖蒲」の花を上から見たものを図案化しました。また、小と大の花弁はそれぞれ「ヨ」「コ」のカナ文字でもあり、「中」の字と合わせて「ヨコ中」を表します。和田義三先生のデザインで第二代河辺良三校長の時に制定されました。
おなじみの現在の横高の校章です。昭和23年4月1日に学制改革により高等学校となり、横中の校章の「中」を「高」と改めました。