吉田庫三校長
▶吉田庫三校長 没後百年記念 校史資料展示説明会のご案内

今年は吉田庫三校長の没後百年となります。ちなみに、文豪 森鴎外も同じ1922(大正11)年に亡くなっています。横須賀高校に残された校史資料の解説を上田さんにお聞きしながら、校長の初期教育の有り様について考えたいと思います […]

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ニュース
▶同窓会研究「小田原高校・校史展示室の見学」

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吉田庫三校長
▶残された吉田庫三校長の2枚の肖像写真

小田原高校と横須賀高校には、それぞれ、吉田庫三校長の肖像写真が残っています。厳しい中に生徒たちに向けた暖かい眼差しが分かる良い写真です。2枚とも、写真の右手の下に本が置いてあり背表紙の文字は「神道叢記」もしくは「神道叢説 […]

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さいか屋のお話
▶吉田庫三校長、岡本傳之助(さいか屋創業者)の師弟の形と「乃木大将の書簡」

ぶらり散歩「変わりゆく横須賀の風景」の中に出てくる、さいか屋の創業者の岡本傳之助(中2期)さんは、横中(現横高)の初代校長である吉田庫三校長とは師弟の関係にあります。(高10期 上田 寛)            ◆ ◆  […]

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ぶらり散歩
▶ぶらり散歩「萩の吉田庫三校長の墓所探訪記」

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吉田庫三校長
▶吉田庫三校長と父のグローブ

父・近藤石蔵(中14期)から聞いた横中に纏わるエピソードを書いてみます。(高8期 近藤礼三) 【その1、父が寄宿舎に入寮した理由】 京急中央駅から横高までは、今はバス利用が常識ですが、当時は勿論バスはなく徒歩が当たり前。 […]

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吉田庫三校長
▶同窓会研究 神奈川県立小田原高校訪問記

小田原に行く機会がありましたので、少し足を伸ばして小田原高校に行ってきました。小田原高校の初代校長も吉田庫三先生で、横須賀高校とは、いわば、兄弟のような高校です。校歌祭くらいしかお目にかかることはありませんでしたが、兄貴 […]

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吉田庫三校長
▶横須賀高校あれこれ(沿革、校歌、校章)

ノーベル賞受賞者(小柴昌俊さん)、五輪金メダリスト(猪熊功さん)、内閣総理大臣(小泉純一郎さん)という日本のトップを揃って輩出した学校としても有名です。様々な分野に多彩な才能を送り出しています。<<横須賀高校の著名人>> […]

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ぶらり散歩
ぶらり散歩「吉田庫三先生の足跡を訪ねて(世田谷・松陰神社)」

今年は、横須賀高校創立110年にあたる年なので、初代校長の吉田庫三先生のご先祖の吉田松陰が祀られている松陰神社に行ってきました。この神社の宮司の齋藤さんには、横高100周年の時に、記念誌「百年の風」(発行 2010(平成 […]

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吉田庫三校長
吉田庫三先生の足跡を訪ねて(二松學舍大学)

「百年の風 朋友編」に、庫三先生は、1882(明治15)年の9月に、15歳で上京して、二松學舍、独逸學舍で学んだと書いてありました。二松學舍は、現在は、二松學舍大学となっていて、三島毅が現在の東京都千代田区三番町の私邸内 […]

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吉田庫三校長
▶横須賀高校(第四中学)初代校長 吉田庫三先生

■ 略歴 吉田庫三(よしだくらぞう)先生は、松陰の妹である千代の息子として慶応3(1867)年に生まれました。吉田松陰は29歳で安政の大獄で刑死しましたが、文久2年(1862)11月28日、江戸幕府から安政の大獄赦が出さ […]

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吉田庫三校長
吉田庫三先生の生誕150年の絵葉書の展示

セミナーホールのロビーに吉田庫三先生の生誕150年を記念して絵葉書を展示しています。ガラス展示ケースの中の絵葉書は、生徒、教職員、保護者、同窓生、来校者等、すべての人に見て頂けるよう常設展示したものです。いつでも誰でもセ […]

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ニュース
今年は、初代校長吉田庫三先生の生誕百五十年

吉田庫三先生は、慶応3(1867)のお生まれですので、今年は、先生の生誕百五十周年です。夏目漱石も同い年だったんですね。 横須賀高校校史資料室では、生誕150年を記念して吉田校長が中学1期生から6期生までに贈られた卒業記 […]

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吉田庫三校長
【横高史の語りべ、若杉氏に訊く(2)】 梅城遺稿について

吉田庫三文庫の中に、梅城遺稿という書物があります。吉田庫三先生の言葉を教え子たちがまとめたものです。梅城遺稿の「梅城」は、吉田庫三先生の雅号です。梅の字は、先生が尊敬していた叔父の杉梅太郎氏に由来するものと云われています […]

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吉田庫三校長
記恩ヶ丘歴史研究会の発足について

このたび、横須賀中学校、横須賀高校や初代校長の吉田庫三先生、山鹿家、松蔭神社、地域の歴史などについて研究するために、記恩ヶ丘歴史研究会を発足いたしました。 横須賀高校には、初代校長の蔵書である吉田庫三文庫があります。50 […]

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吉田庫三校長
「梅城遺稿」拾遺・特別稿一

「梅城遺稿」拾遺・特別稿 幷州を離れるの情(離任に臨み第二中学生に贈る一詩) ■ 吉田庫三校長第二中学を転任 幷州(へいしゅう)というのは、唐の都「長安」から北へ遠く、晩唐の詩人賈島(かとう)が、長く住んだ地でもあった。 […]

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