「梅城遺稿」拾遺・特別稿一

「梅城遺稿」拾遺・特別稿
幷州を離れるの情(離任に臨み第二中学生に贈る一詩)

■ 吉田庫三校長第二中学を転任
幷州(へいしゅう)というのは、唐の都「長安」から北へ遠く、晩唐の詩人賈島(かとう)が、長く住んだ地でもあった。その買島が、その地を去るにあたって、その地との別れを惜しみ、第二の故郷として懐かしんだ「桑乾河ヲ渡ル、却テ望バ是故郷」という詩を詠んだ。以来、その地を懐かしみ別れを惜しむことを、幷州を離れるの情と世に云われるようになった、と古事にはある。

神奈川県立第二中学校(現小田原高校)の校長吉田庫三先生は、明治三十七年十一月、二年九か月勤務したこの中学校を去ることになった。和歌山県の視学官として任官したためである。任地に発つ吉田庫三先生を送る為に、駅舎に集まった生徒に贈った詩が、横須賀中学校の「梅城遺稿」という吉田庫三先生の遺稿集の中に見つかった。また庫三先生は、明治四十一年には第四中学校(後横須賀中学校・現横須賀高校)の開設のため、神奈川県に戻られるのである。従って小田原高校も、横須賀高校も初代校長は、同じ吉田庫三先生なのである。「梅城遺稿」(明治三十七年 詩部)

臨去小田原示来送諸子用嘯樓送詩韵

秋老長松凝蒼翠 丹楓帯霜半欲墜
撃鮮時倚水上樓 籠紗偶題山中寺
交遊只要披赤心 師弟神契可断金
臨発轍有幷州想 凾山湖水饒餘音

小田原ヲ去ルニ臨ミ来送ノ諸子ニ嘯樓送詩ノ韻ヲ用ヰテ示ス

秋老長松ハ蒼翠(濃緑)ヲ凝ラシ
丹楓(赤楓)ハ霜ヲ帯ビ 半バ墜セントス
撃鮮(鮮美)ノトキ 水上ノ楼ニヨレバ
籠沙偶題山中ノ寺
交遊ハ只ニ赤心(真心)開クヲ要ス
師弟ハ神ニ契リテ断金タルベシ
今出立ニ臨ミ并州ノ想ヰ有リ
凾山湖水饒餘ノ音

七言律詩(七語八句で作詩)である。
しかし、「嘯樓送詩」と同じ韻を踏んで詠むとあるが、その詩については、不勉強で解らない。「梅城遺稿」(吉田庫三文庫蔵)は、良く手にするのだが、明治三十七年のところについては、見ることが無かったわけではないのに、気が付かず悔いるのみである。詩は三十七丁裏にあり、表には「乃木将軍の長子が金州南山にて戦死したときの追悼の詩が載っている。「嘯樓」(しょうろう)とは、明治初期の漢詩人野口一太郎の漢詩号。吉田庫三、乃木希典も教えを受けた。

■ 乃木希典将軍長子の戦死を悼む
乃木希典将軍が詠んだ「金州城下ノ作」は、親交の篤かった当時第二中学の校長であった吉田庫三先生のところへ、戦場から届いた葉書に書かれていた。その詩には、御正斧(斧正か)の上、寧斎兄にも示してほしい旨が書かれていたので、庫三先生はそのようにしてすぐに返信した。これが次の詩であるが、世に出るまでにはそう時間はかからなかった、といわれる。吉田庫三先生はこの詩にもその韻を合わせて、長子戦死の報に弔慰を表している。七言絶句(七語四句)である。次男保典も同年十一月三十日に、二〇三高地にて戦死した。

金州城下ノ作 希典

山川草木轉荒涼 十里風腥新戦場
征馬不前人不語 金州城外立斜陽
山川草木轉タ荒涼 十里ノ風腥シ新戦場
征馬ススマズ人語ラズ 金州城外斜陽ニ立ツ

乃木希典の日誌(明治三十七年五月三十一日付)がある。まだ宇品に居た。

「快晴 宇品ニ到ル、兼松随行。不在中、毛利元忠訪、(略) 堀内少佐ヨリ電報、勝典戦死ノ弔慰。佐久間大将、和田純之ニ同ジ。室(妻)ヨリ勝典中尉功五級ノ報アリ。朝、書を室に送り豫戒ス。午後返電。大満足の意を報ず。(略) 」

同日誌・同年六月七日のところ雨とある。やっと金州に着いたらしい。葉書の消印は六月二十二日とある。

「金州ニ至ル。途中、負傷者二百九十名、露兵四名ニ柳家屯ニ逢フ。三里店ニ兵站司令官出迎へニ来る。(略) 斉藤軍政委員ノ案内、南山の戦場巡視、山上戦死者墓標に麥酒ヲ献ジテ飲ム。幕僚同行。
山河草木轉荒涼 十里風腥新戦場
征馬不前人不語 金州城外立夕陽」

この日誌の中の詩と、「金州城下ノ作」とでは、少し異なるところがある。金州は、遼東半島の先端大連の北東に当る。詞では「山河」が「山川」に、「夕陽」が「斜陽」に改められている。
また詩中で「轉」はウタタと読み、いよいよのこと。「腥」はナマグサシと読み、「不前」はススマズと読む。また日誌中「豫戒ス」が意味不明である。自らしっかりするように戒める、といったところであろうか。
次の詩は「梅城遺稿」に載る長子勝典戦士追悼の詩である。寧齊は、野口一太の別の雅号、石林子は、乃木希典の号。みな正岡子規の師・森槐南に教授さる。

■ 次乃木将軍金州城見示韻却呈
吉田庫三先生に届いた乃木将軍からの漢詩。6月22日の消印がある。(小田原高校蔵)

将軍長子勝典戦死南山故及 吉田庫三

重来風物更悲涼 死闘賢兒夢一塲
家國仇讐千古恨 好屠旅順到遼陽

重来風物更に悲涼 死闘ノ賢兒一塲ノ夢
家国ノ仇讐千古ノ恨 旅順を好屠シ遼陽ニ到ラン

■ 参考(賈島の詩)
渡桑乾 賈島

客舎幷州已十霜 帰心日夜憶咸陽
無端更渡桑乾水 却望幷州是故郷

略義;幷州に来てはや十年、長安への帰心止まずにいたところへ、再び桑乾を渡る地へ行くことになった。振り返れば、幷州も懐かしい私の第二の故郷である。

(文責構成 横須賀高校 高5期 若杉昭平)

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です