【横高史の語りべ、若杉氏に訊く(2)】 梅城遺稿について
吉田庫三文庫の中に、梅城遺稿という書物があります。吉田庫三先生の言葉を教え子たちがまとめたものです。梅城遺稿の「梅城」は、吉田庫三先生の雅号です。梅の字は、先生が尊敬していた叔父の杉梅太郎氏に由来するものと云われています。
① 文質淋々について
梅城遺稿の巻頭に添えてある「文質彬々」の書の琢堂は、毛利家当主毛利元昭公の雅号で、この四文字は「論語」にある言葉だそうです。”文”は飾りで外形のこと、”質”は実質で素養のことを示します。”彬々(ひんぴん)”は、外形と中身の二つが整い調和のとれた様子を言います。肖像写真の吉田庫三先生は、まさに、この「文質彬々」そのものの人でした。
② 「梅城遺稿」の漢詩
「梅城遺稿」に載っている漢詩は、生徒には難しく読めませんでしたが、自然と対話する庫三先生を彷彿とさせる、たいへん、味わいのある内容です。
庫三先生は、この頃、神経痛で腰や右肩に故障がありました。それで、この漢詩も、先生は左手で書いております。最後のところに「梅城左手執筆書此」とご自分で書かれています。
「雨が降った後の山を見ようとしたが、その雨は、先ず窓前の竹を洗っていた。ところで、峰にかかる雲は、本来は無心なものであるが、好意をもって、わが家にやって来た。」
※ 漢詩の解読は、中学校期34期の土川泰信氏の恩師元大東文化大学教授濱久雄先生です。
・インタビュー日:2017年10月14日(土) 11時〜13時30分
・場所:横須賀高校 校史資料室
・話し手:若杉 昭平さん(高5期)
・聞き手:上田 寛さん(高10期)、佐藤 敦さん(高34期)、廣瀬 隆夫(高25期:文責)