江戸しぐさ第二講 江戸を楽しむ

【いきで素敵って?】
テーマは、「いきで素敵な江戸しぐさ」と付けたんですが、江戸しぐさが、どこがいきで素敵なのかを終わったあと、自由に、そんなことかと感じていただきたいと思います。いきって言えば粋という漢字を使っていきと読ませますが、本来、これはいきとは読まないですね。すいですよね。京はすい、江戸はいきって言うんですが、いきの美意識を哲学的に分析したと言われる、九鬼周造のいきの構造という本がありますね。そこで言われている、粋の定義と言うのは、あか抜けして、はりのある、色っぽさ、と言う意味でちょっと違うんですね。ここに書かれている、粋と言うのは、人生をいろいろ体験した年増の芸者さんかなにかをイメージしているんです。

江戸しぐさのいきは、どう言うことかは、あとでご説明いたします。また、素敵ということを申しあげましたが、素敵という言葉はモダンですよね。近代的な感じがしますが、江戸ではすでに使われていたんです。式亭三馬の浮き世床にも、素敵と寒いじゃないかという言葉が出てくるんですね。随分とか、むやみにとか、いう意味なんですね。仰山な様とか大層なとかこれは広辞苑に書いてあります。江戸の女性の良い名前は、素子とか康子とか良子とかいう名前なんだそうです。ここに来られている方の奥様が素子だとか康子だよという方も居られるかと思いますがこの素子は味の素の素なんですが、すっこちゃんとか呼ばれてすばらしい女の子っていう意味なんです。

みなさんも、先生なんかをからかって先敵なんて敵をつけたじゃないですか。素に敵をつけて素敵、敵ながら素晴らしいという江戸の造語なんだそうですよ。今で言えばコギャルの流行語と同じようなものだったので、上品とか格式のあることばではないけれど、美人ねと言われるより、素敵ねと言われたほうが、その人のハードだけじゃなく、ソフト、そ の人の生き生きした生命体をたたえているような気がして、素敵ということばは、とても素敵と思うんですね。

【江戸しぐさは江戸楽】
江戸しぐさは江戸楽、学問の学は、ぐぅあくという発音をするんだそうです。私は江戸っ子ではありませので上手く発音出来ませんが、江戸言葉はしゃべくりことばだから、化け学とか言わなくても耳で意味を聞き分けられる訓練を寺子屋でやっていたそうです。ここは木場ですよね。ですからここに住んでいる方は、生粋の江戸弁というものが出来るのではないでしょうか。うちの恵比寿の会社の近くのお魚屋さんのおじいさんのしゃべり様がとっても素敵なんです。おじいさん、江戸っ子でしょうと言ったら、そうだよ、だけどだめだよ、もう古来まれな人になっちゃったよ、なんて言うんです。古希のことをいっているんです。私なんかもうとっくにすぎているわよ。と言ったら、そうかい、じゃあ、お互いに頑張りましょうなんていってましたがね。

時々、お店なんかをやっている人で、本当にさわやかな江戸弁を話す人がいます。話を戻しますが、音楽の楽のことですが、どういうことかと申しますと、明治になって日本の音曲を捨てて、外国から西洋の音楽を取り入れたときに、音の学問と書いて音学と言ったそうです。そこで、江戸の生き残りの人が音楽は音曲を楽しむものなのだから、というんで音楽と書き換えたんだそうです。つまり、それと同じことで、江戸の人々の暮らし振りを知って今の私たちの生活に役立てるとしたら、江戸東京博物館に展示されているような江戸のハード、建物を見ていると懐かしいかもしれませんが、そう言うものを学ぶことではなくて、江戸の人たちの、楽しい生き方とかとか考え方、というソフトを学ぶべきだというのが、うらしま先生の主張なんですね。そこで江戸楽のがくは学問の学でなく楽しむ楽にしています。江戸しぐさは江戸楽そのものですね。

⇒ 江戸しぐさ第三講 江戸の街のイメージ

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