▶母の祈り(小川省二先生)
二十七年前、私の母は九十四歳で亡くなった。母は利発ではあったが無学であり、文字もろくに読めない、ただただ優しい人であった。今年、その九十四歳に私もなった。
九十歳を過ぎ足腰が弱り、家から出られなくなった。その頃の母の一日はこうであった。
朝食が済むと仏壇の前に正座する。膝元には息子、娘その連れ合い孫など三十一人の名を記した巻紙がある。最初に、父と沖縄で戦死した長兄に念仏をとなえ、祈る。次に三十一名の最初の人の名前をあげ、ゆっくり、ゆっくり 「どうか、今日一日元気で無事でありますように」と何度も祈る。時に席をはなれるが、用が済むと、すぐ仏前に戻り、再び、座り祈り続ける。午後は、最初の一人から「明日も無事でありますように」と祈る。そして、最後の一人が済むと母の一日は終わる。
ある時、母に、「いつも私達のことをお祈りしてくれてありがとう」と言うと、「ううん。それがね、名前をあげるでしょ。顔がすぐ浮かぶのよ。話しかけるでしょ、答えてくれるの。だから毎日皆に会えるのよ」とほほ笑んでいた。
やがてべットに寝たきりとなり、穏やかな終末を迎え、旅立っていった。(2019年6月8日)