▶金沢文庫「伊藤博文と金沢」特別展
金沢文庫で3月10日まで「伊藤博文と金沢」という特別展をやっています。かなり力の入った大規模な展示です。伊藤博文は、16歳の時に三浦半島三崎の海岸防備に参加しています。それから松下村塾で学び、独学で語学を勉強して世界中の法典を読み、金沢の別荘で明治憲法の草案を作りました。ここから日本の近代が始まったのですから、日本にとって大変な功労者です。多くの直筆の書の展示がありましたが教養の深さを感じる堂々とした字でした。勉強はそれほどでもなかったようですが、松下村塾の中で一番、字が上手かったようです。
金沢文庫の学芸員による展示物の解説もお聴きしました。博文館の社長で金色夜叉の登場人物のモデルになった大橋新太郎との交友、200年に渡って金沢八景の新田開発に携わった永島泥亀との付き合いなどの、おもしろいお話を聴くことができました。 博文館が伊藤博文に由来していることも初めて知りました。 次の話は、憲法草案についてのエピソードです。
伊藤博文は、井上毅、伊東巳代治、金子堅太の協力を得て、明治二十一年六月から金沢の州崎にあった料亭の東屋で憲法草案を練っていました。ある晩、東屋に泥棒が忍び込み、憲法草案が入った柳行李が盗まれました。煙草入れや硯などは出てきませんでしたが、 泥棒は憲法草案の価値が分からなかったので柳行李に入れたまま近くの田の畦地に捨てていきました。泥棒の無教養が功を奏して無傷で発見されたということです。この事件の後に、野島の別荘で草案を作るようになりました。憲法草案の石碑は、金沢八景の東屋があったところに、今でも建っています。
鎌倉時代に建立された金沢文庫は、北条氏の滅亡後衰退しましたが、1897(明治30)年に伊藤博文らの尽力で復興されたということでした。金沢文庫にとっては恩人なんですね。吉田庫三先生とは、歳がだいぶ離れています(26歳)ので接点はなかったでしょうが、松下村塾の仲間として記恩ヶ丘で取り上げました。(高25期 廣瀬隆夫)