▶高12期 小泉純一郎さん講演会「日本の歩むべき道」

■ 演題 日本の歩むべき道
■ 講師 小泉純一郎さん(横須賀高校 高12期卒業 第87代・88代・89代 内閣総理大臣 )
■ 日時 2019年9月12日(木)16:00〜17:10
■ 会場 東京都渋谷区桜丘町26-1 セルリアンタワー東急ホテル B2F ボールルーム
https://biz-study.com/seminar/jkoizumi_paneldiscussion20190912_invite/
■ 参加 約500名

小泉 純一郎さんの講演会をお聴きする機会がありましたので講演内容をご紹介します。臨場感を出すために、小泉さんの語り口で報告させていただきます。写真撮影や録音は禁止でしたので、記憶とメモに頼って書いています。細かい間違いについては、ご容赦ください。(高25期 廣瀬隆夫)

本日は、暑い中、私の講演会に、こんなにたくさんお越しいただき、ありがとうございました。夏風邪をひいてしまって声が変でお聞き苦しいかもしれませんが、ご勘弁願います。

思うように行かないのが人生だ。1969年(昭和44)年8月に父が急死し、父の跡を継いで最初の選挙に出馬した。弔い選挙は、同情票が入るので有利と言われているが、小沢さんを含んで3人が弔い選挙で立候補して私だけが落選した。 落ちこぼれの私が総理大臣になったのだから人生は何が起こるか分からない。消費税が10%に増税されるが、昔は物品税だった。物品税は贅沢品の税率は高く、一般消費財は税率を低くしていた。贅沢という感覚が人によって違うという批判が出て一律に税金をかける消費税になった。今回、軽減税率が採用されるが、物品税と同じような批判が出るのではないか心配している。私は、軽減税率のかわりに消費税は全て社会福祉に使うとした方が良いのではないかと考えているが、なかなか思うように行かない。

さて、これから原発ゼロの話をします。私が総理の時は原発は必要であると思っていた。1973年の中東戦争の時、アラブ諸国が、石油価格を大幅に引き上げたことにより世界経済全体に大きな混乱が起きた。いわゆる、オイルショックである。石油依存度が高かった日本は大きな打撃を受け、「狂乱物価」と呼ばれる物価の大幅な高騰を招いた。経済はマイナス成長に陥り、国際収支も赤字となった。石油がダメ、天然ガスもダメ、資源のない日本に残されたものは原子力しかないと専門家は言った。原子力は未来のエネルギー、原子力の平和利用は人類の夢、という言葉を信じて、国は原発を推進した。原子力の供給量は、全電力の3割を占めるまでになった。

当然、小泉内閣も国の方針に従って原発を推進した。2006年に、私は内閣総理大臣を退任したが、5年後の2011年の3月に、ご存知の通り東北で大きな地震が起きた。東日本大震災である。ただの地震ではない。原発が破壊されて放射能が広い地域に拡散した。3基がメルトダウンを起こしたが、4基目も危なかった。これがメルトダウンを起こしていたら、半径200キロ圏内に放射能が拡散し、5000万人の避難が必要になるところだった。この原発事故が起こった後に、東大の畑村洋太郎名誉教授を委員長とする事故検証委員会が調査をしたが、その報告書に「事故は起こりうるもの、事故が起こらない装置はない」と書いてあった。日本には54基の原発がある。今後も事故が起こらないという保証は何もない。また原発が事故を起こしたら大変なことになると思った。それから原発の勉強を始めた。

学べば学ぶほど原発は危険極まりないもので、原発はゼロにしなければいけないという思いが大きくなり、疑念が確信に変わって行った。東北の事故がなかったら、政府はさらに進めて原発を100基まで増やそうとしていた。考えられないことだ。総理の時に推進していたのに、今になって原発を止めろと言い出すのは無責任ではないかという意見をよく聞く。「過ちを改めざる、これを過ちという」論語の言葉である。人間は誰でも間違えることがある。間違っていたと気がついたら、それを素直に認めて軌道修正をする、これが正しい考え方ではないかと思う。

事故を起こした原発の燃料棒を今でも取り出すことができていない。あまりにも放射能濃度が高いので、人が手を出せない。人が近づいたら即死するほど危険なものだ。取り出し専用のロボットを作ったが、それもすぐに壊れてしまう。燃料棒を取り出せたとしても、それを捨てる場所がない。

フィンランドの島にある「オンカロ」という核のゴミの処理場に行った。世界で唯一、核の廃棄物を処分できる場所である。岩盤を400メートル掘った地下に2キロ四方の広場がある。そこに核のゴミを全部埋めて放射能の毒が消えるまで5〜10万年保存するという。記録に残っている人類の歴史は数千年だ。10万年という時間は、とてつもない長さだ。果たして安全に保存することができるか誰にも分からない。この広さでも、原発2基分の容量しかない。フィンランドは原発を4基持っているので、残りの2基分はまだ廃棄物処理の場所が決まっていない。日本には54基の原発がある。この核のゴミをどこに捨てようとしているのか。作ろうと思っても、地震が多い日本にこんな場所はありませんよ。そんな状態で、なんで原発を推進しているのか。

1985年に、この核のゴミ問題を解決するために、「もんじゅ」という高速増殖炉を作った。使用済み核燃料の再処理と燃料の増殖をうまく循環させていけば、どんどん自前で原発の燃料を作り出していける夢のような「核燃料サイクル」が出来あがりエネルギー問題は永遠に解決できると言われていた。しかし、「もんじゅ」は事故ばかり起こして、「核燃料サイクル」の要であった高速増殖炉計画は破綻して廃炉が決まった。1兆2千億円の税金をドブに捨てたようなものだ。解体も出来ず、維持するだけで1日5千万円もかかっている。これが全部税金。こんなに金がかかるものを良く作ったものだ。

今、産業廃棄物の会社を設立しようとすると最終廃棄物の処理が出来る場所が確保できないと会社設立の認可が下りない厳しいルールになっている。こんなに産廃業者を締め付けておいて、捨場のない核のゴミを放置して、トイレのない高層マンションのようになっている原発をそのままにしているのはおかしいではないか。しかも、その原発を再稼働させようとしているのはどうかしている。

原発の専門家は、原発は、”クリーン”、”低コスト”、”高い安全性”と言っていたが、これが全てウソだったということが分かった。こうなったら、原発をゼロにして、自然エネルギーに切り替えていくしかないのではないか。2011年に原発の事故が起きた時、太陽、水力、風力、地熱などの自然エネルギーは、電力全体の供給量の2%であった。それから8年足らずで自然エネルギーの供給量は15%にまで伸びた。日本は、自然が豊かな国だ。温泉もたくさんある。この自然の恵みを活かさない手はない。ピンチの裏にはチャンスがある。国がしっかりした方針を出して推進すれば、自然に恵まれた日本は、様々なやり方を工夫してクリーンな電力を供給できるはずだ。震災で全ての原発が停止し、今でも8割を超える原発は止まっているが、それが原因で停電になったことは一度もない。原発がなくても十分にやっていけることは証明されている。

昭和16年夏の敗戦」という東京都知事だった猪瀬直樹さんが書いた本がある。太平洋戦争で、日本は、アメリカとの国力の差から劣勢となり敗戦に至った。日米開戦直前の昭和16年の夏、総力戦研究所の若手エリートたちがシミュレーションを重ねて出した結論はアメリカには勝てないというものだった。戦争を始める前に負けることは分かっていた。この実話をもとに、日本の当時のリーダーの意思決定の誤りで、“無謀な戦争”に突入して悲惨な結果になった、というプロセスが描き出されている。将来、原発が破綻するということは、シミュレーションしなくても明らかだ。まだ、舵を切り直すことは出来る。大事なことは、リーダーが「変える」権限をもち、「やればできる」という信念を持って改革に取り組むということだ。この戦争と同じ過ちを決して繰り返してはならない。

太平洋戦争に勝ったアメリカは、戦後、日本が再生出来る道を2つ残してくれた。国際社会で平和に生きる道と国民が健康に生きる道だ。戦後70年経って、日本は、一度の戦争もなく、平和で健康で長生きが出来る国になった。国民の健康を支える日本の食は世界にも知れ渡るようになった。マグロのうまさ、寿司の旨さは世界を席巻した。昔は、あんな生臭いものには世界の食通は関心を持たなかったですよ。平成元年には、100歳以上のお年寄りは3千人であったが、30年経った令和元年には7万人に達しようとしている。

尾崎行雄氏は憲政の神様といわれ、連続当選25期、64年間も衆議院議員をつとめた伝説の人だが、94歳の時に書いた書に、「人生の本舞台は常に将来にあり」というものがある。国会議事堂前の憲政会館の前の顕彰碑に刻まれている言葉だ。現在やっていることは全て将来に備えてのことである、という意味だ。九十歳を越しても、まだ前に進もうとしている。すばらしい。私も77歳になったが、これからが本舞台だと思ってガンバりたいと思っている。

最後に、江戸時代の儒学者の佐藤一斎の言葉を紹介したい。「少にして学べば壮にして為す有り、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず 」若いときに学べば大人になって有為な人材になる、大人になって学べば年をとっても衰えない、歳をとって学べば死んでも腐らない 。

特に、三番目の「歳をとって学べば死んでも腐らない」が良いね。人間は、学ぶことの楽しさ、未知のことが分かったときの楽しさを糧に生きている。学ぶことを忘れなければ、いくつになっても老いないのではないか。みなさんも元気で、日本を、もっと平和で長生きできる国にしていきましょう。ご清聴、ありがとうございました。

【講演会をお聴きして】

風邪をひかれているということで、最初はテンションが低めでしたが、話が進むうちに精気がみなぎり、小泉節が炸裂して予定の時間が過ぎても語りきれないくらい熱の入った講演会でした。席が一番前でしたので、対面でお話しているような感じで、小泉さんのオーラが、直に伝わってきました。原発ゼロのお話は、そのとおりだと思いました。こんなことを続けていたら、それこそ、子どもたち、後輩たちに負の遺産を残すことになります。こうしている間も、核のゴミはたまり続けています。一刻も早く、原発行政の軌道修正を決断してもらいたいたいと思います。

話をお聴きして感じたのは、圧倒的な楽観主義と誤りに対する是正の潔さです。「悲観主義は気分によるものだが、楽観主義は意思によるものだ」と他の紙面で述べられていますが、何があっても、強い意志で前向きに進めば明るい未来がある、という小泉さんの思いが伝わってきました。「誰でも間違えることはある、間違ったら深く反省して、もっと勉強してやり直せばいいじゃないか」というところに、小泉さんの器の大きさ、人間らしさを感じました。これからもお元気でご活躍ください。マスコミ報道や講演会による小泉さんのご発言は、今後も記恩ヶ丘HPでご紹介していきますので、ご期待ください。(廣瀬)

【参考】
原発ゼロ、やればできる 小泉純一郎 著 太田出版 2018年

    ▶高12期 小泉純一郎さん講演会「日本の歩むべき道」” に対して2件のコメントがあります。

    1. 和田 より:

      これだけを筆記するのは大変でしたね。よく分かりますよ。その通りだと思います!
      これだけ自明のことなのに、なぜ動かないんでしょうね?
      小泉氏の変化には目を見張るものがあります。「君子豹変」とはこのことでしょうね。良いことです。

      1. 廣瀬隆夫 より:

        コメント、ありがとうございました。会社を休んで聴きに行ったかいがありました。ここには書きませんでしたが、電力会社の役員や関係者が天下ってリーダーの意思決定に影響を与えるポストにいるということが、根本の原因だとも言われていました。多くの国民より私腹を肥やすことに一生懸命な人たちが原発ゼロを阻止しているんでしょうね。

        「君子豹変」は、今ではあまり良い意味に使われていませんが、易経の原文は「君子豹変す、小人は面を革む」で、小物は表面的なものを取り繕うだけだが、本物は豹の体毛の模様が変わるように根本から改めるという意味です。小泉さんは本物だから「君子豹変」が出来たのでしょうね。

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