▶「ノーベル物理学賞 真鍋淑郎先生の思い出(大村 纂さん)」
寄稿:スイス国立工科大学(E.T.H.)名誉教授 大村 纂(おおむら あつむ)さん 1960年 横須賀高校 高12期卒業
■ 基礎物理学でない分野で初めての受賞
10月5日、スエーデン科学アカデミーが2021年度のノーベル物理学賞受賞者を発表しました。この受賞は、ノーベル物理学賞の受賞対象が今までの伝統から大きく方向転換したということが注目されました。今までの物理学賞の傾向は、ほとんどが基礎物理学や基礎物理研究に役立つ機器の開発に与えられてきましたが、気象学という大きく異なる功績に対して初めて与えられたのです。
スエーデン科学アカデミーの説明によりますと受賞理由は「偶然と無秩序現象が入る複雑系の理解を推進した業績」に与えられると説明されました。日本出身で米国人のプリンストン大学上席気象研究員の真鍋淑郎先生、ドイツ人のマックス・プランク気象研究所前所長のクラウス・ハッセルマン氏、ローマ大学教授ジョルジョ・パリシ氏ら三人が選ばれました。
特に真鍋先生の受賞は、先生が一生をかけた気候システムのモデル開発とモデルを使って明らかにした気候変動、特に現在進行中の気候温暖化が、温室効果ガスの増加によることの解明、及び、モデルによる将来の気候の正確な予報という広大な功績に対して与えられたものでした。これは60余年にわたる先生の研究の賜物であり、先生の近くで勉学や研究をして育ってきた私にとっても大きな喜びであります。真鍋先生は流体力学及び他の物理法則を駆使し、大気と海洋を結合した三次元の気候モデルの開発では世界の最先端を走り抜いてきた方で、ノーベル賞が基礎物理学以外の功績を対象とする最初に受賞者として最もふさわしい方です。
■ 大気と海洋を結合した三次元の気候モデル
真鍋先生は、世間では、世界で一番コンピューターを使った男と評されていますが、先生の研究成果がどのようにして出来上がったのかを、もう一度見てみましょう。
先生のご研究は、決して最初から大きなモデルが作られたのではありません。1958年に真鍋先生が東京大学理学部に提出された学位論文は、冬季にシベリアから流出する低温で乾燥したシベリア気団が、温暖な日本海上で暖められ同時に多量の水蒸気を抱擁して日本海側に豪雪をもたらす機構をテーマとしたものでした。大学院の学生が論文のテーマとして初めから全世界を扱うことは難しいため、日本海という比較的小さな空間を扱うことが適当であったのです。しかし、この気団変化こそ、気象学や気候学、特に気候変動論では根本の問題であり、急所をついた論文でした。
この論文が、当時の米国気象局で大気モデルを作る部署の長をしていたジョゼフ・スマゴリンスキー博士の目に止まり、博士のもとで大気モデルを開発する仕事に従事することになりました。しかし、一足飛びに三次元の大モデルを作ったのではありません。真鍋先生は、1960年代のほとんどの時間を大気の垂直一次元モデルの開発と、それを使った大気の基本的特性の研究に使われていました。
この基礎的研究は、大気中で起こる太陽及び赤外線放射の伝搬の機構と、それによる大気の対流を含めた大気の運動の解明のためでした。この間に受けた学界やマスコミからの批判は、真鍋のモデルは実際性に欠けるということでした。この10年に渡る基礎研究の上に立って初めて実際性の高い大気の三次元モデルが創造されたのであり、上司のスマゴリンスキー博士も成果を急がせずに、温かい目で見守っていたのは実に偉いと思います。
■ 温室効果ガスが気候に及ぼす影響の解明
この大気モデルは次の段階ではやはり三次元の海洋モデルと接合され、大陸や海の分布、ヒマラヤ山脈などの地形が入れられ、蒸発と降水を持つ水循環も入れられて、長時間にわたる計算に耐える全球気候モデルとなったわけです。このモデルを使ってまず研究されたのは気候の内部変動、すなわち太陽や大気の素性等に全く変化が起きない条件下で、気候がどの程度自発的に振動や変動し得るものかという気候学の最も根本的な問題でした。
その後、太陽に変動が起きた時の気候変動を解明され、そのような基礎に立って大気素性、特にCO2をはじめとする温室効果ガスの変化が気候に及ぼす影響を解明されたのです。このような経緯から、真鍋先生は気候と気候変化のモデルに関しては、九十歳になられた今でも他の研究者の追従を許さない深い理解と経験をお持ちなのです。
■ 極めて高度で分かりやすい講義
先生はプリンストンに研究室を持ちながら、東大では非常勤講師として集中講義をされ、我々後進の研究者の教育と育成に大変な努力をされました。普通、高度な講義は難解ですが、先生の講義は極めて高度なものでしたが、分かりやすいのです。先生のこうした献身的な指導の恩恵を被った当時の若い研究者や学生で、現在、主要大学や研究所で指導的な立場にある人は10指に余ります。
1990年代のある学会で、先生と夕食を共にしていた時、お礼の意味も込めて先生の講義が実に分かり易かったことをお話しました。その時、うっかり口を滑らせて、「その反対に教養学部でのXX教授の物理の電磁気学は極めて難解で不可スレスレの可をとった」とお話したところ、先生が突然顔色を変えて「可で済んだのか? 俺はXX教授から不可をくらった」とおっしゃり、それから「猛勉強して追試に臨みやっと通って留年しないで済んだ。一体、あんな理解し難い講義などをするのは全く無意味で、若い時の時間を無駄に浪費させる」と力説されました。そのような経験から、特に講義は学生に理解しやすいように心がけている、とおしゃっていました。
■ 真っ黒な英和辞典のエピソード
先生が第一線を退く決心をされていた1990年代の中頃、プリンストンの研究所に招待してくださり、私がやっていた氷河を含めた雪氷圏と大気との相互作用に関する講演を頼まれ、それが終わって先生の研究室でいろいろな話をしている折、ふっと気づいたのは先生の机の上の本棚にある三省堂の英和辞典でした。表紙が無くなってページをめくる側が真っ黒になっているのです。渡米40年余になるのに、毎日ここまで努力をされているのかと思いました。先生が大変な努力家であることは以前から存じ上げていたのですが、あの真っ黒で表紙が飛んでしまった辞書ほど、その事実を語るものはありませんでした。
先生との思い出は尽きませんが、この辺で筆を置きたいと思います。
90歳を迎えられた先生の一層のご健康をお祈りいたします。(2021年10月11日)
さすが、我らが同期12期の大村君!
良い記事をありがとう御座います。
いつでしたか?大村君の研究成果を駒場に見に行ったことがありましたね。
次の記事は、スイス発の貴兄の「受賞記事」。
楽しみにしています。
鵜飼 恵
いつもお読みいただきありがとうございます。
鵜飼さんと大村さんは、高12期の同期なのですね。
スイス発の「受賞記事」につきまして、大村さんにリクエストしておきます。
大村さんの素晴らし記事を拝見しました。
物理学賞受賞の真鍋先生は、恩師でいらっしゃったのですね。
先生の研究成果を分かりやすくご説明いただき、有り難うございました。
「人物ハイライト」の取材で、メール交信していた8年前を、懐かしく思い出しています。
上田 寛
本当に分かりやすいですね。真鍋先生のお人柄がよく分かる記事ですね。スイスにご在宅ということも知らずに気軽にメールのやり取りをしていました。