▶野比牧水碑前のテトラポットのシノリガモ
野比牧水碑前のテトラポットにシノリガモが来て睡眠をとり飛び去ります。(2月8日 高12期 山本誓一)
【シノリガモ】きれいな方がオスだそうです。漢字で「晨鴨」と書き、「晨」(シン)は夜明けを意味するそうです。
https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/4651.html
【若山牧水の夫婦歌碑】上田さんのコメントにも詳しく書かれてありますが、若山牧水は、1915(大正4)年に、妻の病気療養のために長沢に転居して2年ほど滞在されたらしいです。その時、野比海岸も散策したのでしょうね。(高25期 廣瀬)
http://www.cluster.jp/hp/?p=14915
高22期 伴野です。
シノリガモの「つがい」ですか。穏やかな風景ですね。
下の写真は動きがあって、これらも良いですね。あと、気づいたのは海水が綺麗です。
もうひとつ、北原白秋碑が野比にあったとは知りませんでした。白秋が近くに住んでいたようですね。北原白秋がどんな人だったか知りたくなりました。
北原白秋でなく若山牧水だったようです。山本さんのご依頼で、記事を修正しました。
・シノリガモ、はじめて聞く名前です。
野比に住んで五十数年になりますが、野比海岸にこんなきれいな鳥が飛来していたとは知りませんでした。当時の北下浦海岸は、浸食もなく砂浜で釣りや海水浴が出来たほどでした。
・北原白秋碑ではなく、若山牧水碑ではないでしょうか。
北下浦行政センターの近くに、長岡半太郎記念館・若山牧水資料館があります。
牧水は大正4(1915)年、喜志子夫人の病気療養のため、幼児を連れ東京から北下浦・長沢の農家に転居しています。
2年足らずの滞在だったのですが、酒とたばこを愛し、下浦海岸で獲れたシコイワシを肴に美酒を味わい、野比川で釣りを楽しんだと言われています。
海岸通りに平行する旧道沿いに、昔からの酒屋があり、「牧水がよく買いに来ていた」と聞いたことがあります。
砂浜公園にある歌碑は夫婦歌碑と呼ばれ、牧水の「しら鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ」、背面に喜志子夫人の「うちけぶり鋸山も浮かび来と今日のみちしほふくらみ寄する」が、牧水の筆跡で刻まれています。
山本さんに確認しましたら、牧水碑を白秋碑と勘違いしたそうです。ご依頼がありましたので、記事を修正しておきました。ご指摘いただきありがとうございました。