▶映画「ゴジラ マイナス1」の感想(高22期 伴野 明)
ネットを見ると、「ゴジラ マイナス1」の話題で持ちきりです。あまりに大絶賛が続くのでちょっと観てみたくなりました。(高22期 伴野 明)
ゴジラと言えば、高22期の私は「ゴジラ世代」と言えます。東宝の絶頂期、正月、夏休みのイベントとしてゴジラ+若大将を観るのが「これぞ娯楽」と思えた良い時代でした。
そんな訳で私は「ゴジラマニア」というほどではありませんが比較的詳しい方です。年齢的には小学校~中学校のころでしたが、「ゴジラ映画」は娯楽映画であっても、原爆批判など社会性を映画に持ち込んだすばらしい作品だと子供ながら思って、円谷監督を尊敬していました。
しかし「ゴジラ」は次第に変貌を遂げます。まずゴジラの顔が可愛くなってきます。そして「ミニラ」などの登場で子ども路線を取り始める。そこまでは何とか我慢して観ていましたが、遂にゴジラが「シェー」をするに至りました。そこで幻滅して観るのはやめました。かなりのゴジラファンが同様であったろうと想像します。
今回のマイナス1は真面目そうだし、評価も高い、それで「どれどれ」となった訳です。観たのは金曜日の最終上映でした。思ったほど観客はおらず、拍子抜けでしたが時刻が遅すぎたのかもしれません。
さて、評価ですが、某有名作家を筆頭に著名人が大絶賛のなか、私の採点は51点です。ネットでは、こんな低い評価は、まず見当たりません。100点満点か120点でも良いようです。ちなみに私の51点は「平均的日本人」が観た場合と仮定しています。「何が平均か」というと話がややこしくなってしまうので、とりあえず及第点としておきます。観た人の状況によって受け取り方が違うのと、一度見ただけなので、勘違い、記憶違いがあると思いますので、それはご容赦ください。
時代背景や制作者の好みによる良い点、悪い点など、ちょっとレベルを上げると突っ込みどころ満載となります。例えばゴジラを動けなくするため船でロープを引っ張って巻き付けるシーンがありました。俳優のセリフは「船がペアになってロープを引っ張って途中にカッターをつける」だったと記憶していますが、「船が対になって縄を引っ張って途中に刃物をつける」ぐらいの気配りが欲しいところです。
ゴジラを倒す最終兵器として、伝説の戦闘機「震電」が登場します。それを取り上げたことを面白いと感じるのは「一定以上の戦争マニア」でしょう。アイデア的には悪くないと思いますが、他にも、船を登場させるのに戦艦大和や武蔵ならまだしも、余程の艦船マニアでないと知らないマニアックな船を並べるのは制作者の好みの押しつけにも感じます。細かいところを挙げるときりがありません。次の二点に絞って感想を述べるのと問題提起したいのです。
①問題提起
「これは……」と私が違和感を持ったところ。皆さんはどう思うでしょう。と問題提起したいのです。
②ストーリーの破綻
私はアマチュアながら「小説家」ですので、ある程度は筋が通らないと許せません。といっても私は決してストイックではなく、全てに対しアバウトなんですが。
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①問題提起
ゴジラ登場の部分。この映画が「心情的なテーマを含んでいる」と高評価なのですが、制作者の意図は日本人の心情として「いかがな物か」と思わざるを得ません。ゴジラが登場して暴れまくるシーンが始まります。ここで登場するゴジラは原爆で変身する前の、高さ15mほどの「現地で以前から伝えられている怪獣」だそうです。主人公の◎◎はそれまでゴジラを名前すら知らず、日本軍をなぎ倒す怪獣に圧倒され、恐れおののいてしまいます。
「20mm機銃ならどんな怪獣でも倒せる」と誰かが叫び、20mm機銃を装備したゼロ戦の飛行士である◎◎に、「お前が撃て」と皆の期待がかかります。その機銃はゼロ戦のものではなく、地面に設置された日本軍の固定式機銃でした。ということはそれを撃てるのは飛行士の◎◎だけではありません。誰でも撃てたはずです。しかし機銃を任された◎◎は暴れるゴジラを目の前に硬直して引き金が引けません。撃つタイミングを逃した◎◎はゴジラになぎ倒され、気絶してしまいます。ここまでは私の記憶で間違いないと思います。
この次のシーンから疑問が始まります。気絶していた◎◎が目を覚ますと、袋に入れられた日本軍人の遺体が◎◎の脇に10体ほどでしょうか整然と並べられていたのです。目覚めた◎◎はそれを見て愕然とします。このゴジラ作品では主人公の◎◎が重いトラウマを負ってゴジラと戦うという筋になっています。そこが「心情的なテーマをも併せ持った名作」と言われているのですが、私はその心情の設定に強引さを感じ、疑問をもっているのです。
このゴジラが暴れるシーンの前に、◎◎が特攻出撃で機体の故障を理由に特攻を中断し、帰還してそれを整備士になじられるシーンがありました。それはゴジラ騒動の前に◎◎の心の弱さを印象づけるための筋書き上の前振りであったと考えられます。
遺体のシーンに戻ると、「これを見ろ、お前が機銃を撃たなかったために、これだけの犠牲者が出たんだ、よく見ろ」という意味の上官の発言があったと記憶しています。さて、ここまでの流れで「なにか、おかしい」と感じるのは私だけのようです。ゴジラという初めて見る怪獣に怯えて何も出来なかった。それを一人の責任としてこれ見よがしに遺体を並べる。そんなことを日本人がするはずはありません。
そして、これ以外ですが、ストーリーを通じて流れるのは、特攻隊が「日本軍の無謀な発想で仕方なく組織された」との解釈です。心情的な面を描きたいなら、もっと慎重に、日本人として納得の行くストーリーにしてほしいものです。
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②ストーリーの破綻
銀座でゴジラにヒロインの△△が吹き飛ばされたシーンがありました。「あっ、死んだな」と思ったら、すぐ次のシーンで位牌になっていました。傷ついて別れのシーンがあるはず、と思っていたので意外でした。どうでしょう、日本人でなくても、例えば中国人でも、仏教国であれば位牌の意味するところは同じです。死亡が確定したのです。その通り、それ以降ヒロインはずっと出現しません。
ところが最期のシーンで「ポン」と復活、生きていました。そして主人公も落下傘で生存。このストーリーで、超有名作家も納得しているようです。こんな出来の悪いストーリーは恥ずかしくて私には書けません。
いかがでしょうか?