▶ある古い戸籍謄本を見て その2(高22期 松原 隆文)

今年の4月15日、市内の老婦人Sさんが、事務所を訪ねてきた。話を聞くと、現住所の土地が親の名義だというのである。早速、事務所のパソコンで登記情報にアクセスしてみた(便利なもので、日本全国の登記情報が瞬時に分かる)。すると昭和12年7月16日に売買でこの土地をSさんの父T氏が取得している。登記簿は86年間そのままだ。要するに、この土地をSさんの名義にすることが仕事の内容となる。

更に話を聞くと、Sさんは二人姉妹で姉のAさんがいる。Aさんは昭和17年の早生まれ、Sさんは昭和18年生まれで、父T氏は昭和20年5月、フィリピンで戦死し、Sさんは父親の顔を全く覚えていないという。

T氏は大正2年生まれ、その奥方は大正9年生まれだ。私の両親が大正3年と大正7年生まれだから、正に同じ世代なのである。私は思わず涙が出てしまった。これを自分に置き換えてみれば、私は存在しなかった可能性がある。幸い父は無事に帰還し、私が生まれている。

更に戸籍謄本を請求してみた。戸主T、昭和20年5月20日時刻不明比島ネグロス島バコロドに於いて戦死、と記載されている。手続きは以下のとおりとなる。

T氏が戦死した段階で家督相続が発生し、Aさんが所有権を取得する。AさんからSさんに贈与による所有権移転をする。その際、贈与税が気になるが、土地評価額が110万円を下回るので、贈与税は発生しない。

問題は、戸主Tの戸籍謄本に、Aが家督相続をした記載がないことだ。ただ民法上Aが家督相続したことは明らかなので、今更その記載をする必要はない(先例あり)と考え、登記官に質問をしたら、同様の回答が帰ってきた。SさんAさんに事務所に来てもらい、以上の説明をし、納得してもらって、目下、手続中である。

平成元年の開業以来、毎日のように戸籍謄本を見ているが、戦死の記載は圧倒的にフィリピンが多い。それもその筈で、フィリピンでは30万人以上が戦死している。更に心が傷むのは、昭和20年8月31日満州国吉林省方面にて戦死などの記載を確認することだ。要するに8月15日を過ぎても、満州では戦闘が続いていたということだ。

月並みの言葉だが、平和の時代に生まれてほんとに良かった。又、この平和が多くの人たちの犠牲で成り立っていることを実感する。

    ▶ある古い戸籍謄本を見て その2(高22期 松原 隆文)” に対して2件のコメントがあります。

    1. 高橋克己 より:

      昭和も20年に入ると南方の戦局がかなり難しくなって、関東軍の精鋭を、櫛の歯を抜くようにフィリピンやビルマに振り向けたんですね。それでスカスカになった満州に8月8日、ソ連軍が雪崩を打って攻め込んだ訳ですから一溜りもない。葛根廟事件の話など、悲惨過ぎて本を閉じたくなります。
      ところで相続の話ですが、T氏の奥方はどうなったのでしょう。素人考えでは、T氏の戦死で家督はまず奥方に行き、次に奥方が亡くなればA・S姉妹に半分ずつ、そして今般AさんからSさんに贈与、という順番のように思いますけど。

    2. 松原隆文 より:

      説明不足でした.奥方は平成に亡くなっております。
      Tが戦死した段階で旧民法が適用されます。だから奥方ではなくAがその時点で家督相続をして、所有権を取得しているのですよ。
      満州では、民間人を置き去りにして、弱体関東軍がさっさと逃げてしまったんですよね。
      だから民間人は悲惨な逃避行をせざるを得なかったと聞いています。まあむごたらしいですね。

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