▶「ドライフラワー」(高22期 高橋克己)
例年連休前に「芍薬」を高22期の渡辺雅江さんから頂戴することを、4月9日の岡田須美子さんのご寄稿「牡丹と桜」のコメントに書いた。今年も5月6日にたくさん頂いた。ところが今年は病気のせいで「赤」がほぼ全滅だそうで、「白」と「ピンク」の中に数本だけ「赤」が混じっていた。
早速、仏壇、玄関、洗面所、居間、自室に活けた。小さな蕾も数日で大人のこぶし大に開き、それからほぼ1週間ほど満開の状態を保ったのち手のひら大にまで拡がって、花びらを落として行く。花の持ち具合は光に左右されるようで、一番暗い仏壇の「白」が最後まで頑張った。
5月10日に、その「白」1本を自室に「一輪挿し」し直したのには訳があった。夜8時前に千葉の叔母の入院先から電話があり、昼間に嘔吐して肺炎気味になり、血圧も下がっているというのだ。この叔母の経緯は5月2日の拙稿をお読み願いたい。
医師の話では「抗生剤と血圧を上げる薬を処方した。薬が効けば1週間程度で退院の可能性もあるが、高齢(91歳)でもあり予断を許さない」とのことだった。拙稿に書いた通り、障害者控除の申請が4月に遡及して適用されることになり、叔母の年金で今後の一切が賄われることになっていた。
つまり、長年働いた叔母が自ら稼いだ糧の範囲で、誰にも頼ることなく余生を送れるように漸くなったということ。折角、千葉の施設や役所の方たちも親切に手続きを進めて下さったのに。それからというもの、「便りがないのは良い便り」とはいえ、日に何十回もスマホを確認する日が続いた。
そんな中、当然のことながら部屋の「一輪挿しの白」が目に見えて弱って行く。この「白」と一緒に叔母が散ってしまったら、とも思えてくる。そこでこの「白」を4年前に挑戦して成功した「ドライフラワー」にすることを思い立った。ちょうど以前のそれには欠けが目立っていたし。
病院の容体連絡から1週間目の5月17日、「ドライフラワー」が完成した。その日の午前、病院に電話して叔母の様子を聞いた。「その後は嘔吐もなく、血圧も低めだが安定している。ベッドや車椅子に座るリハビリも始めた。が、食が細く点滴をしているので退院はまだ先」とのことだった。
自作の「ドライフラワー」でも、丁寧に扱えば何年でも持つ。叔母もそうあって欲しい。
叔母様のために大切にしてドライフラワーにする、その想いと心が通じて病状が快復したのでしょう。
今年はフリージアが沢山咲き、思い立って何輪かドライにしてみたところ、ひと月以上経ってもきれいな黄色を保っています。何かの折にいただく花束をドライにして作り直すと、いつまでもその花束に纏わる思い出が蘇り、心が温かくなります。ドライフラワーにすると云っても、自然に任せての乾燥です。
渡辺雅江さんの芍薬は見事ですね。私も一度いただいたことがあります。毎年頂くとは羨ましい限りです。