▶[小説] 床屋の事件簿2(高22期 伴野明)
金曜日だった。電話が鳴った。妻の尚子が電話に出た。
「野中ですけどー、あした十時頃予約できますか?……」
「ああ、野中さん毎度ありがとうございます。十時ですね、えーと、いつもどおりでいいすか? ……空いてます。大丈夫です」
「じゃ、お願いします」
「ハイ、毎度ありがとうございます」
「土曜日は混むわね、また食事とれないかもよ」
妻の尚子はちょっと心配だ。
「いいよ、飯なんか客の合間に一瞬で食うからさ」
武はここで四十年、古い床屋である。店がちょうど上町と下町の境に位置することから、八百屋のおやじから政治家まで客層は広い。
「野中さんっていい人だけどさぁ、グチが多くて聞くのが大変でしょ、あなたストレス溜まんない? ……」尚子は側で聞いていてもイライラするらしい。
「確かにな、会社のうっぷんをここで晴らさなくてもって思うけど、聞くのも商売のうちだからしょうがないべ」武は慣れている。
「でもあの人、散髪終わってもしゃべり続けて帰らないし……」
「適当なところでうまく話を切るのも話術」、と武は言い切る。
四十年も床屋をやっていると、客から聞く話しもいろいろだ。椅子に座ると開放感からか、思いがけない話を聞くことがある。
土曜日、野中さんがやってきた。
「いらっしゃい」武はいつもの調子で出迎えた
野中さんが、何か持ってる。
「武さん悪いけどこれ貼ってくれねえかなぁ」野中さんは巻いてあるポスターを開いた。
「なんですか、コレ? 『無限エンジン』って何ですか?」武が聞いた。
「それ、絶対インチキ臭いんだが無理押しされて困ってんだ」
「断ればいいんじゃね……」武はあっさりと言った。
「それが断れねえんだ」
「どうして?」
「そこの工事受けたのよ、内装工事を」
「それで?」
「完成日が一日ずれた。それで相手は損害が出たっていうのよ。ミスじゃねえよ、ちょっとした行き違いだな。確かに契約書には期日が書いてあるんだが、オレはもう二、三日後でいいってニュアンスで聞いてたんだ。それで他の仕事を一日入れちゃったら、約束日に出来てねえってクレームつけやがってよ、ちょっと内装直すだけの大した工事じゃねえのにでけえ事いいやがる」
野中さんは怒りでブルブル震え始めた。
「その変な商品の販売に協力しろって言うのさ。そしたら許すって。もうしょうがねえから、『ハイハイッ』ってポスター受け取ったわけよ」
武はあらためてポスターを見た。じっと見て察しがついた。
「これ、永久機関じゃん。野中さんよぉ、永久機関は成立しないって証明されてるぞ」
「オレもそうだろうと思うよ」野中さんがうなづいた。「だけどさぁ、発表会を開いて証明するって言ってるんだ」
「たぶん手品みたいなことで騙す手口じゃねえ?」武は発表会でインチキを暴いてやろうと思い始めた。
「発表会っていつやんの?」
「来週、月、火、水の三日間」
「よし、オレ火曜日行くわ。行って詐欺暴く!」と、武は床屋の休みの日に発表会に顔を出すことに決めた。
「ちょっとあなた、またそういうのに首突っ込むの? いつもそうなんだから。やめてよ! 騒動にしないでよ!」聞いていた尚子があきれて忠告した。
今日の日記
『野中さんが変な商売に巻き込まれたらしい。オレが暴いてやる。だが、尚子が警戒しててやりにくい』
日曜日に野中さんから電話が入った。
「武さんよう、あのあと先方から工事費ちゃんともらったんだ。月曜の予定だったが、今週中に払うからってな。……武さん、火曜日行くのはいいけど、あんまり……ほらさ、あんまり過激にやらないでな……」と、野中さんのテンションはちょっと下がっている。
「いや、ぶち壊すみたいなことは考えてねえけど、……ようするにまっとうな話なら問題ないわけよオレもさぁ」武も――ちょっと冷静にしなきゃな、と思い直した。
月曜日、また野中さんから電話が入った。
「今日見てきたぞ」
「どんな感じ?」
「いやぁ、意外にまあまあ人が集まってるんだ、二十人以上いたな。……けっこう年の人が多かった」
「それでどんなことやった?」
「おもちゃのミニ4駆とかいう自動車を、まず電池で動かして見せて、そのあと電池をはずしてその『無限エンジン』っていうのと電線でつなぐんだよ、それでそのエンジンの上に手をかざすと、それがスルスルーっと回りだすのよ。……少し経つとミニ4駆も同調したように回りだす。それだけなんだが、それがずーっと回ってるのさ」と、野中さんは不思議そうに言う。
「そのエンジンってどんな物よ?」
「丸い台の上にな、十センチぐらいの丸いリングみたいのがあって、ただそれだけ。なんか仕掛けがあるだろうって裏も見たけど電池とかはないんだよな……」
「やっぱり手品っぽいな」武は疑っているが現物を見ないことにはなんとも言えない。
「明日も同じデモをやるって?」
「三日に渡ってやるみたいね。最終日に気に入ったら買ってくださいって」
「へえー、意外と消極的なんだな、こういうのってバンバン煽って買わせるもんだと思ったんだが」武は思いが外れた。
『あやしい、あやしい、明日絶対しっぽをつかんでやる』と日記に記して武は明日が待ち遠しい。(続く)
この床屋さんの話、小説ではなく実話の不思議な話があります。
持病が悪化した床屋さんですが、元気なころ、床屋が閉まる午後7時以降に息子さんが働くコンビニ店に応援に行っていたんです。すごい頑張り屋ですよね。それで聞いた話、コンビニ店って、ものすごく色々なトラブルがあるんだそうです。万引きは当然として、「表の駐車場に車を置きっぱなしで若者がたむろして、追い出すのが大変」とか、それも小説ネタとしては使えるので、床屋+コンビニの話にしようと思い立ちました。ネタを書き貯めているうちに、床屋さんが不調になってしまった。
実は、この小説、完成したら「芥川賞」に応募しようと意気込んでいたのです。
そのころ、ちょうど「芥川賞」発表の時期でした。どれどれ、今年は何?、と見ると、
なんとその年の「芥川賞」、「直木賞」は、
「芥川賞」が「コンビニ人間」、直木賞が「海の見える理髪店」だったのです。
これって偶然の一致ですよね。
最後が尻切れ感があります。それでどうなの?と言う気が。
永久機関は、面白いですね。インスタグラムには色々あって、時々見ています。