▶ベン・カーソンと「THINK BIG」(高22期 高橋克己)

それ以外にも、ティム・スコット上院議員(サウスカロライナ)、トム・コットン上院議員(アーカンソー)、バイロン・ドナルズ下院議員(フロリダ)、ノースダコタ州知事ダグ・バーガム、そしてニッキー・ヘイリーらの名が取り沙汰されています。

議員や知事は、LGBTや反イスラエルや緩い投票資格など民主党の主張に過激に反対します。それに比べて、16年の大統領選後にトランプ政権の住宅都市開発(HUD)長官を務めたベン・カーソンは、小児脳神経外科医としてのキャリアも、そして何より物腰や語り口が異質です。

それは、ベンが母から教えられ、また自ら経験し、そして自ら考えついたモットー、すなわち「Talent(才能)」「Honesty(正直)」「Insight(洞察)」「Nice(親切)」「Knowledge(知識)」「Book(本)」「In-depth learning(深く学ぶ)」「God(信仰)」の頭文字である。

1951年9月18日、デトロイトの貧しいアフリカ系の家族に生まれたベンは、小5まで組一番の劣等生で、同級生や先生からも馬鹿にされた。ベンが8歳、兄が10歳の頃、両親が離婚した。父が他にも家庭を持っていたからだった。母は生活を支えるため、金持ちの家の子守や掃除を何軒も掛け持ちした。

教育こそ息子の成功の鍵だと考えた母は、「金持ちの人達のできることは、お前達にもできる」と励まし、週二冊の読書感想文を書かせた。ある時、一番の生徒しか答えられなかった単語の綴りを、ベンも本で読んで知っていた。こうして時間さえあれば本を読むようになり、中2になるとトップに躍り出た。

癇癪持ちだったベンは、中学の時ナイフで友達を刺してしまった。バックルで刃が折れて事なきを得たが、ベンは頭が狂ってしまったと思い、浴室で「自分の癇癪を取り除いてください」と聖書を読みながら神に祈った。4時間経って浴室を出た時、ベンはかわっていた。癇癪を抑えられるようになったのだ。

こうして高校でも信仰と読書を糧に「為せば成る」とばかり勉強に励み、進学テストではどこの大学でも行ける高得点を取った。エール大学に進んだベンは、同級生の得点が自分より高いことを知り、更に勉強に打ち込む。3年になった時、後に結婚することになるキャンディ・ラスティンが入学して来た。

エールからミシガン大学医学部に進んだベンは、成績が伸び悩む。講義中心の勉強が理由と気付いたベンは、講義より教科書や関連資料を読むことに切り替え、成績向上に成功する。夏休みに母の子守先の会社でクレーン操作のアルバイトをしたベンは、対象を立体的(3D)に計測する自分の能力に気付く。

脳外科医として患部を3D的に捉える特別な能力は、クレーン操作で見出されたのだ。ミシガン大の実習で教授が後頭部頭蓋底にある「卵円孔」を探るのに苦労しているのを見て、ベンは小さい金属の輪2つとX線を用いた器具を思い付き、教授に実演して見せた。間もなく教授達は挙ってそれを使い始めた。

斯くて脳神経外科医を志したベンは、世界で最も優秀かつ有名なジョンズ・ホプキンズ大学病院を研修先に選んだ。キャンディと結婚したのは彼女がエール大を卒業し、ベンがミシガン大医学部3年になる時だった。二人はミシガンから大学病院のあるメリーランド州ボルチモアに引っ越した。

研修で実績を上げたベンは医局に残るよう勧められる。が、知り合っていたオーストラリア人の脳神経外科医のいるパースの大きな脳神経外科センターで1年間腕を磨いて、再びジョンズ・ホプキンズに迎え入れられた。数ヵ月して小児脳神経外科部長のポストが空き、後任に収まった。まだ33歳だった。

ベンが殆ど成功例のなかった「脳半球切除」の手術を行ったのは、それから1年も経たない頃だった。マランダという幼い少女は、口の右側が震えだすのを合図に、顔の右半分、右腕、右足、そして身体の右側全体へと震えが広がり、最後には脱力状態に陥ってしまうのだった。

ベンは脳の左側が損傷していると確信し、「脳半球切除」を両親に提案した。自身初めての手術なので途中でマランダが死ぬことも、また右脳にダメージを与えるかも知れないとも伝えた。もし手術をしなかったらどうなるかと問う両親に、「悪化して、死ぬでしょう」と話すと、両親は手術を承諾した。

ベンは両親に、「今夜は神様に祈って欲しい。祈りは力を与えてくれると私は信じています。私も祈ります」といい、両親は同意した。10時間に及ぶ大手術だった。大量出血の処置に追われた8時間が過ぎた頃、脳の左半分は切除されて、頭蓋骨は元通りに固定された。

手術室を出るストレッチャーにベンが付き添うと、待合室から両親が飛び出して来てマランダにキスした。すると彼女は眼を開け、小さな声で「愛してるわ、パパ、ママ」と小さな声で言った。言語中枢を司る左脳を切除したのに、さらに右腕と右足も動かしている。手術は成功したのだった。

これをきっかけにベンは、ジョンズ・ホプキンズを頼って訪れる、発作で苦しむ子供たちに「脳半球切除」を施し、健康な生活に復帰させた。そうした患者の中にドイツで生まれた、頭部で繋がったままの「シャム双生児」がいた。多くは死んでしまい、生きて生まれるのは2百万分の1の確率だった。

一生に一度の大手術には医師、看護師、技師ら70人が関わった。22時間後に手術は終わったが、双子の昏睡状態は続いた。両親やベンたちに出来ることは祈りだった。10日後、ベンが病室に行くと双子が体を動かしている。双子は眼を開けて辺りを見回した。数ヵ月後、双子は両親に抱かれてドイツに帰った。

こうしてベンはすっかり有名人になり、米国中、世界中の病院から注目され、また講演者として引っ張りだこになった。ベン・カーソン博士は、難しい手術の傍ら、老若男女あらゆる聴衆を前に、自分の歩んで来た道について語ることになった。

    ▶ベン・カーソンと「THINK BIG」(高22期 高橋克己)” に対して5件のコメントがあります。

    1. 高橋克己 より:

      アイキャッチャーの写真はトランプとベンのTシャツです。何度も着ているのでヨレヨレですけど。

    2. 加藤麻貴子 高22期 より:

      ベン・カーソン博士は素晴らしい人ですね。トランプ元大統領とは真逆の印象で、トランプ政権で住宅都市開発長官を最後まで務めたのが不思議なくらいですが、その人事で彼を見直したくらいです。人格も内容も話し方も説得力があります。少年の時に使命感のある医者になると決心して実現させ脳神経外科医として多くの命を救ったミラクルな実績があるのです。共和党、民主党のどちらからも尊敬を集めるベンのような人が今のアメリカに必要かもしれません。

      1. 高橋克己 より:

        ベン・カーソン2票獲得、でも投票権がありません。残念!

        1. 加藤麻貴子 高22期 より:

          最近トランプもバイデンもどちらも嫌というboth hater が増えているそうです。共和党はトランプだけ?もし裁判の件で立候補出来ないとなればどうなるの?

          1. 高橋克己 より:

            いい質問です(と、よく米国人は言いますね)。トランプが11月5日に投票を受けられないケースは、7月11日にマーチャン判事が出す量刑によって、その日にトランプが刑務所にいる場合です(住まいのあるフロリダ州法では判決の出た州=NY州法=の法律に従うとあります)。
            どんな量刑が出されようと、トランプはすぐに控訴手続きをNY州最高裁にとるでしょう。受理されれば、上級審への控訴期間中は収監されませんし、投票日までに控訴審が結審することも先ずあり得ないので、投票日を刑務所で迎える可能性はないです。
            万が一、彼が投票日に刑務所にいることが確実になれば、共和党は直ぐに別の候補を立てます。予備選に出たのはニキ・ヘイリー、ティム・スコット、ラマスワミらです。予備選に出ていない有力者、例えばVP候補に名が挙がっているベンを含む数名やジョンソン下院議長、ジョーダン下院司法委員会委員長などもいますが、どうやって選ぶのかまでは知りません。
            私が決められるならヘイリーを選びます。が、誰が出てもバイデンに勝つ可能性は、むしろトランプより高いと思います。なぜなら共和党支持者はバイデンには絶対に入れないし(民主党支持者が共和党候補に入れないのと同様に)、バイデンに愛想をつかしている無党派層にも、トランプよりは批判票が少ないでしょうから。

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