▶TSMCと創業者モリス・チャン(高22期 高橋克己)
本欄でTSMCが話題になっていますので、2年前に「中国離れを加速するTSMCと創業者モリス・チャン」と題して別サイトに投稿した記事の抜粋を転載します。記事は某台湾投資会社が公開している北京語投資案内の邦訳版の校正を手伝った際の知見を基にまとめたものです。
台湾の国際的な著名人といえば世界の多くの者が先ず李登輝に指を折るだろう。台湾では、李登輝を否とする者も少なくない一方、チャンを敬愛しない者はほぼいないと感じる。それは李登輝が台湾を民主化した政治家であるのに対し、チャンは台湾に富をもたらす経済人だからだろうか。日々の糧は何より重要だ。浙江省寧波市に生まれた17歳のチャンは48年に国共内戦を避けて香港に移住する。翌年(中華人民共和国成立)ハーバード大学に入学するが2年生でMITに編入、53年に機械工学の修士号を取得した。55年に入社した半導体会社から58年にテキサス・インスツルメンツ(TI)に転職し、83年に半導体部門の副社長で退社した。64年にはスタンフォード大学で電気工学の博士号を取得していた。
台湾の産業構造はその頃まだ軽工業と加工輸出産業が中心だった。こうした産業の発展が停滞する中、政府は次世代の産業開発の機会を積極的に模索した。行政院長官の蒋経国は、孫運璿経済部長や後に台湾半導体産業の父と呼ばれる潘文淵らと協議し、半導体産業の発展を積極的に推進することを決定した。
1912年に江蘇省に生まれ、チャンに先立ちスタンフォード大学で博士号を得て米国RCAに勤務していた潘文淵は74年、台湾の招きに応じて来台した。彼は先ず海外の著名な半導体専門家を台湾に招聘して「電子技術諮問委員会」を設立し、台湾当局が提唱した「半導体産業発展プロジェクト」の立ち上げも支援した。このプロジェクトは、台湾の半導体人材を育成し、台湾半導体産業の発展の基礎を築く上で、重要な契機となった。
これらを土台として、例えば台湾工業技術研究院(ITRI)は77年10月に最初の7.5μウエハーの実証工場を設立、設備改善に力を注いで、生産効率を大幅に向上させた。これらの先駆者の努力が、台湾半導体産業の人材力の発展にとって格好の基盤になったのだが、その中の一人にチャンがいた。
チャンも台湾当局の招きで84年に来台、ITRI院長に就任した。自らは起業するつもりがなかったチャンだが、ITRIに対する政府の期待に応えるべく起業を決意、独自のビジネスモデルを設計した。そして新竹サイエンスパークには、IBM、HP、Intelなどの多国籍企業での勤務経験を持ち半導体産業の経験を積んだ、潘が招聘した起業家たちが集まっていた。
政府はチャン院長の提案したビジネスモデルを受け入れて、ウエハー生産機能を持つ半導体会社を設立することとした。斯くて87年、行政院開発基金48.3%、フィリップス27.5%の出資でTSMCが設立された。残りの24.2%は新竹サイエンスパークの起業家たちが設立していた8社が出資し、チャンが董事長(会長)に就任した。
台湾には優秀な人材、良好な勤務態度、高歩留などの利点があると信じていたチャンのビジネスモデルとは、当時世界で例のないファウンドリに特化することだった。これがファウンドリのTSMC、そして組立・テスティングのASE(日月光半導体)というユニコーン企業を生んだ台湾の「水平分業」だった。このチャンの発想がインテルやTIやNECなど自社で全ての工程を賄う「垂直統合」モデルの隙を見事に突いた。
TSMCが先駆的なことの一つに、新しいプロセスを開発する際、製造スタッフを開発に参画させ、量産で発生する可能性のある問題を事前に解決しておく手法がある。彼らは生産ラインに導入時にはそこに戻り、開発に係ったプロセス技術が確実に実施されることを確保する。こうしたサイクルを繰り返しながら次世代技術への移行を進展させることや積極果敢な大規模投資などにより、TSMCという唯一無二の存在が築かれた。
TSMCはベンチャー企業で、創業者のモリス・チャンは、もっと若い人だと思っていましたが、91歳なんですね。MITやスタンフォード大学で学ばれて、TIで半導体の黎明期も見てきた人なんですね。シリコンバレーと台湾は直結しているんですね。
モリス・チャンはある意味では李登輝以上に台湾人に愛されています。コロナ初期に、台湾はmRNAワクチンが手に入らず、安倍さんが日本から余剰ワクチンを送ったことがありましたね。リトアニアやチェコも支援しました。
ファイザーとビオンテック(独)が世界を二分してmRNAワクチンの供給地域を決めていて、中国・香港・台湾はビオンテックのテリトリでした。ビオンテックは上海復星という製薬会社を地域の総代理店にしていたので、蔡英文は上海から購入すると北京に首根っこを押さえられると考え、決して買わなかったので国民から随分責められました。
そこで蔡さんは、モリス・チャンとテリー・ゴウ(フォクスコンのオーナー)にすがりました。彼らは上海から500万ショットずつ個人で買い上げて、政府に寄付したのです。こうして二人は台湾が中国に従属せねばならなくなる要因の芽の一つを摘んだのですよ。
松下幸之助以降、日本にこういう篤志の経営者が出て来ないのは残念ですね。
日本にも、8080などのマイクロプロセッサーの開発に携わった嶋正利さんという人がいますが、あくまで技術者です。松下幸之助は、「水道哲学」であれだけの事業を成し遂げたのですが、今の経営者は自分なりの哲学を持っている人が少ないと思います。モリス・チャンは明確な哲学を持っていたのでしょうね。
最終段落のTSMCの新製品開発の在り様はイノヴェイティブですごいですね。日本の企業も同じような手法なのでしょうか?
私は半導体のエポキシ封止材のことしか知りませんが、他の材料=液状樹脂・インキなど(金線・リードフレームはほぼ既製品)でもほぼ同じだと思います。
封止材とは、数mm~1cm角のシリコンウエハに細線回路が描かれた(ここがTSMCの工程)ICチップとリードフレーム(金属の足=プリント回路基板の穴に差し込む)を金線(ワイヤー)でボンディング(溶接)したもの全体を封止(パック)するためのエポキシ樹脂(2液の接着剤の様なもの)のことです。
封止の目的はICチップの保護(形状の維持、防塵・対熱膨張etc)です。この工程を組立てといい、専業会社(パッケージ・テスティング)が行い、所期の性能が出ているかテストまで行います。
組立て会社で封止する際は、ICの種類(大きさ・細線の度合いetc)に合わせて、設備や封止(成形)条件(熱・成形速度etc)が異なるので、設備やICの種類に合わせて封止材の調合(エポキシの種類や粘度、シリカの大きさや形状、混ぜ合わせ具合etc)を調整して、顧客の最適な成形条件に合わせる必要があります。
これは、最終的には試行錯誤して、つまり何度も異なるサンプルを提供して試作してもらい、ベストの品番を受注するというわけです。その際、封止材メーカーは技術者を派遣して、最適な製造条件を一緒になって調整します。
ここまで顧客に食い込めれば、ほぼ成功したも同然ということになり、一旦採用された品番は、当該ICチップの販売が続く限り、継続して受注することになります(余程のクレームでも出さない限り)。
詳細な説明をありがとうございます。文系で機械に弱い私は半分くらいしか描像を描けませんでした。でも顧客と共に開発していくTSMCの凄さが分かりました。