▶[小説]床屋の事件簿10(高22期 伴野明)

「10:ヤクザ?」

 土曜日だった。井上さんがやってきた。
「どうもー、お願いしまーす」
「毎度どうもぅ、どうぞ」
 井上さんは町内少年野球チームの顧問をしている。武は井上さんの前任だった。
「どう? 最近の活動は」
「それがさ、チームの存続が怪しい」
「あやしいって?」
「部員が8人しかいないのよ、試合の時は隣町から一人借りてくるありさま。隣町も同じ状況だから、一人を貸し借りしてお互いなんとかしのいでる状況」
「じゃあ、隣町とは対戦出来ないじゃない」
「そういうこと」
 野球の人気が落ちているのは武が顧問の時から感じていた。やはりサッカーに食われている。
「最近の子はさ、野球のルールすら知らないんだよね。なんでかっていうとやっぱりサッカーの方が手軽なんだよ。ボール一個あれば、一人でも二人でも遊べるじゃない。だからサッカーを最初に始めちゃう」
「そうか、それにスター選手がいないよね。それが一番の問題じゃないの」武もうなづいた。
「ハイ、顔を剃ります」武が蒸しタオルを顔に掛けた。
「そういえば井上さん、オレと同級だからもう法務局定年でしょう」井上さんは長年法務局に勤め、今年で定年のはずだ。
「ああいう仕事って、オレから見るとメリハリないように思えるけど実際どうなの?」武が尋ねた。
「官庁は、昇進試験を相当がんばって通らないと、上に行けないよ。だけどオレみたいな高卒は最初から限界が決まってるのよ。まあ失敗せずに地道に勤め上げるのがいいんじゃない、オレみたいに」井上さんはずっと安定路線だったということか。普段の行動を見ていると、それがわかる。
「法務局だと不動産関係で一時忙しかったでしょう、こないだ平成不動産の唐山さんが来てね、あのころはすごかったって言ってた」
「そうだよ、あのころは局の人員もいまの倍ぐらいいたな。それでも手一杯だった」
「でしょう……、最近は?」
「最近か……」井上さんの言葉が止まった。
「法務局にいるとさ、地域の動きってのがモロに感じられるものなのよ、良くも悪くも」
「悪くもって、なんかあるの?」
「公務員の守秘義務ってのは絶対だから言えないけど、明らかにこれはヤバイんじゃない? っていうのはあるよ」
「言える範囲だと?」
「そうだな……」井上さんはちょっと考え込んだ。
「ごく最近の話だけど、ある不動産が集中的に閲覧されてる」
「それって、少しでもこの辺の活性化に繋がるならいいんじゃないの?」
「まあ、普通は悪い話じゃないんだけど。閲覧している人がちょっとね」井上さんが首を傾けた。
「だれ? とは聞けないよな」武は遠慮したが。実は興味深々だ。
「一人はヤクザ、もう一人は外人」井上さんが遠慮がちに言った。
「ヤクザと外人って」武は驚いた。
「最近、一目でそれらしい数人がある物件の閲覧に連続してきたのよ、もちろんヤクザや外人が閲覧しちゃいけないってことはないよ。だけど物件との関係を見れば、なにが起きてるか我々には分かる……そういうのって年に数件はあるんだよ。我々は、あーあ、またかって職員の間で話題にはなるけどね。……そこまで、そこまでしか言えない」井上さんの話は止まった。職務上知り得た(ヤバイ)話ってやっぱりあるんだな。武は妙に納得した。
『今日井上さんが久しぶりに来た。いろいろ話が聞けたが、職務上、闇の部分が見えてしまうってのは、やるせないかもな』と、今日の日記に記した。

 今日は火曜日、どこに行く予定もなく、バイクでもいじろうと思ったが、最近根性がない。――面倒くせえ――武は朝からゴロゴロしているだけだった。いつものように店の待合椅子に横になって、日記を見ながら最近の出来事を思い浮かべた。
 えーと、唐山さんの話が書いてない。(港北新幹線近くのデカい動き)って言ってたな。そうか、口留めされたから書かなかったのか。でもあれってどこのことだろう? 武は、あのあたりの地理は隅々まで詳しい。もういちど考え直してもやっぱりデカイ空き地なんて存在しない。――次の話は少年野球だ。しかしこれは時代の流れだから、なるようにしかならない。
 (ヤクザ)……武は井上さんの話が気になりだした。ヤクザが登記簿謄本を閲覧している? ということは土地とか建物とか何か物件を買おうとしているんじゃないの?
どこを……? と考えて武は気が付いた。唐山さんと井上さんの話はもしかして、(同一?)――だとすると余計に、どこを? がどうしても気になる。
 武はもう一度港北駅近くの空き地を思い浮かべた。相当広くて空き地……ん、……武はあることを思いついて、ガバッと起き上がった。起き上がると同時に携帯を取り出し番号を探した。番号がコールされているが、なかなか出ない。20コールぐらいでやっと出た。
「はい、剛田です」
「東条です、ちょっと聞きたいことがあります」
「ハイ、何でしょう、急用ですか?」剛田さんは早口でしゃべる武に違和感をもった。
「蓮池さんの会社の清算ってたしか済んでますよね?」
「ああ、その件は前にお話しした通り、私が代行させてもらって全部きっちり済んでます」
「それで、奥さんどうされてます?」
「当面、ゆっくりしていようと何もしていないはずです」
「奥さんのお世話は?」
「ああ、昔から世話をやってる若月さんがやってるはずです」
「剛田さん、あの土地を売るって聞いたことあります?」武は単刀直入に聞いた。
「売る?……奥さんが……」剛田さんの答えが途絶えた。――数十秒の沈黙があった。
「ありえません」剛田さんが返した。
「蓮池さんはマンション一棟、アパート二棟、他にも賃貸物件を持ってましたから、それだけで十分な収入があるんです、なんでいきなりそんな話が出るんですか」剛田さんが逆に質問した。

「剛田さん、推測です。あくまでも私の推測で言ってます。もし違っていたらほんとに申し訳ないですが、おかしな情報があるんです」武は早口で言った。――(只事じゃない)――剛田さんは理解したようだ。
「いまからそちらに行っていいですか?」剛田さんがすぐ反応した。
「ハイ、どうぞ」そう言ってしまって武は困った。尚子が――尚子が気づいたらどうしよう。
 剛田さんは取るものもとりあえずといった感じで、わずか一時間ほどでやってきた。相当飛ばしたのだろう。
「ドンッ」けっこうな勢いでドアが開いた。
「剛田さん、ちょっと外にでましょう、ここじゃマズイ」武はあわてて剛田さんを連れ出した。幸いにも尚子は買い物に出ている。二人は近くのファミレスに向かった。
 開口一番、剛田さんが聞いた「おかしな情報って何ですか?」
「二件あります。まず一件目、床屋の常連客の不動産屋の人が、最近にない大きな土地取引がありそうだと漏らした件。新幹線の港北駅近くって言ってました。あの辺に空き地はないですよ。あるのは蓮池組の産廃工場の跡だけってこと。二件目は知り合いの法務局職員。彼はもちろん名前は出さないけど、ここ最近、明らかにそのスジの者と見える連中が、かわるがわる、ある物件の閲覧をしたっていう情報。
もう一組は、なんと外人だったそうだ。
しかも彼らの見方では、合法的ではあるが、ちらほら聞こえてくる閲覧者の話しっぷりから、これはヤバイと直感したというのよ。この二件を合わせると、ヤクザと誰かが何らかの手を使って強引に蓮池の土地を買い取ろうとしているとしか思えないじゃないですか。もちろん普通に買ってくれるんならそれもいいでしょう、だけどヤツらがまともな取引しますかね」
 武の話が終わるのを待たず、剛田さんは立ち上がった。「すいません、飯食ってる場合じゃない」二人は食事を打ち切って外に出た。「東条さん、恩に着ます」といって剛田さんは店を後にした。

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