▶お賽銭ドロボーさんへ(高25期 廣瀬隆夫)
近くの神社に行きましたら、こんな張り紙がしてありました。読むと、賽銭ドロボーへの張り紙らしいのです。早朝散歩で神社に行った時、境内の掃除をしている人に声をかけました。氏子総代のAさんでした。この張り紙について聞いてみました。
以前は賽銭箱を外に出していたのですが、お賽銭が盗まれるので、社の中に入れたそうです。すると今度は、入り口を壊して中の賽銭を盗みだすということが続いたそうです。
これからどんな対策をしたら良いか思い悩んだそうです。でも、ある時こんな思いが頭をよぎりました。
賽銭箱には、そんなに大金が入っているわけではない。こんな少額の賽銭を狙うくらいだから余程生活に困っているのだろう。そう思うと、ドロボーが哀れに感じられるようになったそうです。そこで、この張り紙を書くことにしたというのです。
お賽銭ドロボーさんへ、
今は苦しくとも、しっかり働けば
きっと明るい人生が待ってます。
この張り紙をしてから、賽銭ドロボーはなくなったそうです。
このメッセージが賽銭ドロボーに届いたのかどうかは分かりませんが、「賽銭ドロボーをしてまで生活しなければならない泥棒の心情を察した」というAさんの言葉を大変重く受け止めました。
賽銭ドロボーは、単なる盗みという犯罪行為にとどまらず、その背後には、貧困や差別などの様々な要因が複雑に絡み合っていると考えられます。賽銭ドロボーという行為を単に非難するのではなく、その背景にある複雑な状況や心情を理解しようとする、Aさんの姿勢は、非常に大切だと思いました。Aさんは、欠かさず神社の境内の落ち葉を掃いて、社に榊を生けるということを、毎朝続けているそうです。世の中には偉い人がいるものだなと思いました。
良寛さんの逸話にも同じようなお話があります。
「月と泥棒」
http://hirose.my.coocan.jp/text/ryokan/madonotsuki.html
賽銭泥棒には複雑な思いがある。もう30年くらい前の話だ。正月三日の夜、神社の前を通った。なんと賽銭泥棒がいる。
私は追いかけながら大声を出した。「賽銭泥棒が逃げて行くぞー!」と言って追いかけると、大勢の人が家から出てきて取り押さえた。三浦市から市境を超えて津久井まで追いかけたので浦賀警察の管轄になり、署員が来るまで大分待たされた。
数ヶ月して仕事の帰りに神社参拝をしたら、又その男が賽銭を盗んでいる。私は我慢が出来なくなり、「お前あのときのTだな」と言った。「違います」と否定するが、「違いますと言ったってTだ!」と言いながら階段で捕まえて、持っていた鞄で頭を数発殴りながら、革靴で思い切り臑のあたりを蹴飛ばした。三崎署に電話して逮捕してもらった。
しかし宮司(兄)に報告すると、こっぴどく叱られた。曰く、「お前はつまらない正義感を満足させているのだろうが、もし夜中に火でも付けられたらどうするんだ!お前は責任を取れるのか!盗ませておけばいいんだ」と言われた。ちょっと気力が萎えてしまった。
その後弁護士会との懇親会でその話をすると、K先生は常習犯を逮捕起訴して有罪判決を得た、許せない!と言っていた。まあ難しいことですね。
再選ドロボーには、神社のお金に手を付けたら、祟りがあるとか、バチが当たるという意識がないのでしょうね。AIやロボットがもてはやされる科学万能主義の時代には、そういう考えは時代遅れなのかもしれません。でも、全てが白黒で割り切れる世界って面白くないなあと思います。
関係ない話ですが、立ちションをされたくない場合は、小さい鳥居を設けると効果がある、と聞きます。さすがに鳥居に小便を掛ける事は、かなり行儀が悪い者でも憚るかもしれませんね。
祟られて使い物にならなくなったら困りますからね。