▶[小説]床屋の事件簿13(最終回)(高22期 伴野明)

「13:新横浜にカジノ?」

 二回目の会合、メンバーは同じ、午後2時からだったので、いきなり本題に入った。まず、マイケルが話し始めた。
「あの土地の利用について、私は二つの投資家から依頼を受けています。まず一人目はディズニーランドじゃないが、このエリア全体をアメリカ色にしてしまう計画です。建物の作り、色、デザイン、売っている物、全てがアメリカナイズされたもので統一するわけです。もちろん、今、アメリカで受けているもの、売れている物ばかりを集めます。だから失敗の可能性は低い訳です」と言ってマイケルは町のイメージ図を示しました。
「もう一つは、ズバリ、『カジノワールド』です。カジノ法が施行されて数年、横浜港に予定されていたカジノは政治的な問題でキャンセルされましたが、私はここ、新横浜の方がカジノに向いていると思います。二人目の投資家が言うには、カジノは設置できるかどうかが問題で、出来てしまえば成功間違いなし、だそうです。私もカジノの方が当たると見ています」と、マイケルはカジノのイメージ図を皆に配りました。

「はいっ、はいっ」質疑応答の合図が出るのを待たず、尚子が手を挙げた。
 マイケルは尚子に手を向け、「あぁ、どうぞ」と、質問を受ける構えを見せた。
「すいません、間違ったら申し訳ありませんが、『カジノ』って、あのルーレットとかトランプゲームとかで遊ぶ、『アレ』ですよね」と、尚子は早口で言った。
「そうです、いわゆる『アレ』が沢山並んだ場所と思って頂いて結構です」とマイケルは平然と答える。
「やはりそうですか、だったら絶対反対です。この近くに、いや日本にそんな場所が出来るなんて考えたくもない。私だけじゃない、この地域の皆さんがそれを許すはずがありません、絶対に」と、尚子はマイケルをにらみ付ける剣幕だ。
 尚子の質問の勢いに武が縮み上がった「尚子の様子がいつもと全然違う……」
「カジノに対するアレルギーですね。お気持ちはよく分かります」と、マイケルはカジノへの反対は想定通りだったのだろう、極めて冷静だった。
「カジノと言われると、そこは無法地帯みたいなイメージを持たれると思います。たしかにそういう時代もありました。しかし今、先進国に存在するカジノは極めてよく管理されていて、決してそんな場所ではありません」とマイケルが続ける。
「無法地帯じゃない――かもしれません、でも問題はそこじゃなくて、『オープンな博打場』だということです」と、押し続ける尚子に武は、「尚子は絶対引かないな、こりゃぁ自分も真剣に考えないと大変な事になる」と思い始めた。
 マイケルが話し出した「私は個人的にはギャンブルは好きではありません。しかし投資ということは、社会的に認められていますが、ある意味ギャンブルと見なすこともできます。その違いはなんでしょう、投資は良いが、ギャンブルはダメという理屈を言ってください」
「はい、はいっ」すかさず尚子が手を挙げた。
「どうぞ」
「『投資とギャンブルは同じじゃないか』と言いたいが為の質問ですね、そうして煙に巻くつもりでしょうが、そんな事では私たちは引き下がりません、ギャンブルは即ち『博打』ですが、『投資』は『ギャンブル』と同義語の面と社会的に必要な仕事に関わる金銭的な面の二通りに分けて考えなくてはなりません。私たちが問題にするのは『博打』の方です」
 武は「グッ」と来た。尚子がここまで論理的な意見を言うのは初めてのことだ。彼女は地域のいわゆるエリート高校の出で、有名大学に進んだ。中退して就職したが論理的な素養があるのは確かだ。しかし、日常的には、いかにも女性的に感情論だけで行動をしているとしか思えなかった。その尚子が、ここまで危機感を持っていることに、自分も引き込まれた。同時にそんな尚子にいままで感じた事の無い感情を持った。言い方を変えれば『惚れなおした』ということだ。
「はいっ」武が手を挙げた。
「おっ、武さんどうぞ」マイケルがちょっと驚いた。
「『カジノ』ってイメージ悪いよね、そのビジネスに関わる人以外。だれに聞いても賛成しないですよ、根っからのギャンブル好きを除いて。だからこの計画は無理だと思いますけど」と武は
尚子を支持した。

 マイケルが答えた。「『カジノ』のイメージが悪い、と仰いましたね、私も今の日本では『そうだろうな……』と思います。でも、それは、『これから』なんです。ここが起点となって変えて行きたいんです」
「『博打場』のイメージなんか変えようがないでしょうが……どうやるんですか?」と、武が首をかしげる。
 マイケルが更に答えた「『カジノは悪』というのは正しくないと私は思います。『カジノ』と『博打』とは完全にイコールではない。そして『カジノ』と宗教が悪くない関係だと皆さん知ってますか?」
「カジノと宗教、なんのこと?」と武が不思議がった。
「みなさん、バチカン市国って聞いた事ありますよね。あのカトリックのローマ法王がいるところです」
「あぁ、聞いた事ある」
「小さい国ですが、キリスト教カトリックの本山です。そこに『カジノ』があるんです。「モナコ公国だってキリスト教徒が90%近くいるけど『カジノ』で有名でしょ

「そう、それもなんとなく知ってる。なんで? と思ったことがある」と武がうなずく。
「『ギャンブル心』って、良くも悪くも人間が生まれつき持っている心なんです。キリストさんもそこは心得ていて、うまく心をコントロールすれば良い方向に導ける。だからバチカンに『カジノ』があるんです」
「コントロールできないから問題が起きて困るのが『ギャンブル』じゃないですか」と、武が口を尖らせる。
「コントロールできているから日本にパチンコ屋があるんです。パチンコ屋の周りは無法地帯になってますか? その点で考えたら日本の方が国中にギャンブル場があると言えます」
「そう言われると……そうだが」と武がマイケルに押される。
「私が横須賀に居たころ、そうですね、1980年ごろかな、『座頭市』の映画を沢山見ました。あれにはヤクザの賭場が必ず出てきました。そうそう、賭場には神棚がありましたね。やっぱり博打と宗教は近いのかな、バチカンと同じに」と、マイケルが饒舌にしゃべる。

「ちょっと待った」、それまで黙って聞いていた剛田さんが手を挙げた。
「座頭市が出てくるとは思わなかった。私は元、ヤクザだからね、本当の事を言いましょう」と、剛田さんは椅子から立ち上がった。
「人に『博打心』があるのは確かです。しかしそれはオープンにして楽しむもんじゃない。あくまで密にしておくべきものなんです。人は生まれによって貧富の差がある。それは運命であって、
当人に責任があるわけじゃない。どんなに努力しても報われない人の方が多い。そんな人が、僅かな持ち金を、運だけに頼って、一時の幸福を得たいがために賭けるんです。それ以外に一生、幸福感を得られない人がいるんです。悲しいことですが。それを偶然だとしても実現出来る場、それが『賭場』なんです。私はヤクザの親分にそう教えられました。それは事実でした。ある時、嵌まりすぎて、財産を失うような賭け方をしている人を親分が窘めて、止めたのを見ました。『賭場』は、ちゃんとコントロールされていたんです。節度があったんです。神棚はその象徴です」
 剛田さんの話に武は「グッ」と来た。カジノと賭場の違い、それは『開』と『密』の違いなのか、それならばやはり自分は『密』を選ぶ。

 武は尚子、若月さん、剛田さんを集めて意思を確認した。無き蓮池、奥さんも含めた総意だ、「やっぱりカジノ反対」

 武は改めてその旨をマイケルに伝えた。
「分かりました。特に剛田さんのお考えに私も思うところがあります。だって私にも『浜野』という日本人の血が入っているんだもの。カジノは諦めました」とマイケルが親指を立てて『OKサイン』を出した。
「ウワッ」と全員が集まり握手の嵐になった。「ホント、うれしい……」と尚子が涙を流している。
「みんなありがとう、そして尚子♡」今日の日記はそれだけ。

-----------終わり----------

    ▶[小説]床屋の事件簿13(最終回)(高22期 伴野明)” に対して1件のコメントがあります。

    1. 高22期 伴野 明 より:

      作者の伴野です。長らくご愛読ありがとうございました。もともと一作の小説として書いていた物では無く、知人の床屋さんの話に盛り付けて、なんとなく書いていました。全体の構成なども考えていなかったので、終わりが中途半端かな……と思っています。

      今後の執筆の参考にしたいので、気づいた点などコメントいただければ幸いです。

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