▶昭和のラジオ・テレビ物語:第2話(高22期 高橋揚一)
【オリエンタルがっちり買いまショウ 昭和99年8月】
日曜のお昼といえば昭和30年代前半は「ミゼット」でお馴染みの『ダイハツコメディやりくりアパート』とその後続『スチャラカ社員』だった。しかし牧伸二の『大正テレビ寄席」が放映されると、こちらを見てから『オリエンタルがっちり買いまショウ』にチャンネルを戻すようになった。
司会は夢路いとし・喜味こいし。大阪市無形文化財に指定され「上方漫才の宝」と称されている。自作ネタやアドリブも取り入れた紳士的な漫才は東京の獅子てんや・瀬戸わんやとともに昭和漫才の双璧と目される。
番組には3組の一般視聴者が出演して、1万円、3万円、5万円(後に3万円、5万円、7万円、さらに5万円、7万円、10万円)の3コースに分かれて買い物をする。2分以内に4点以上買い上げて各コースの上限金額より3,000円(後に4,000円)以内に収めれば商品を獲得できる。
最初はコース分けのゲーム。喜味こいしのダミ声の歌に続く「1万円、3万円、5万円運命の分かれ道。豆がころころころりんこ、指でつまめばよいものを、箸でつまめと殺生な、豆をつまんでつまんでつまんでつまんで、あっちのざるに入れるゲーム始め!」といった毎週変わる夢路いとしによる顔芸と早口言葉が一番の見どころ。次に1万円コースから順に買い物が始まり「伺ってみましょう。1万円コースお買い上げ、いかがでしたか?」で合否が知らされる。
最後はオリエンタルカレーを食べる生CMで、喜味こいしが「ではまた来週も、がっちり食いまショウ」と言うと、夢路いとしが「違う違う。ではまた来週も〜」と言い、2人で「がっちり買いまショウ」と言って終了する。
スポンサーのオリエンタル食品は名古屋に本社のある会社で昭和28年に創業。東京ディズニーランドのオリエンタルランドや名古屋にあったオリエンタル中村百貨店とは別な会社。宣伝カーを全国に巡らせてカレーを普及させるところから始まった。昭和29年にCMソングが作成されて最初はラジオから流された。名古屋出身のカントリー歌手山路智子(トミ藤山)の「オリエンタルカレー」が印象的。
♬懐かしい懐かし〜いあのリーズーム エキゾチックなあの調べ オリエンータルの謎を秘め 香るカレーよ夢の味 ああ夢のひーととき即席ーカレー 君知るや君知るーやオリエンタルカレー♬
最後の「エンタル」の部分のメロディは絶品。
横須賀生まれなのに名古屋弁で脱線トリオの南利明の「オリエンタルスナックカレー」も名CM。
♬めっちゃめちゃうみゃーでいかんわ オリエンタルのスナックカレー たった3分ぬくためるだけ 肉や野菜がいっぴゃーひゃーとるでよお みんなウッハウッハウッハウッハ喜ぶよ オリエンタルスナックカレー ハヤシもあるでよぉ♬
ついでにそのパロディ版の「赤城のカレーアイス」も最高。
♬めっちゃめちゃうみゃーでだちかんがや 赤城のカレーヤース カレーの形したアイスだぎゃあ肉も野菜もそっくりだでよ みんなスックスックスックスック喜ぶんや 赤城のカレーアイス ハヤシはありゃせんぞー♬
『オリエンタルがっちり買いまショウ』の後は、若井はんじけんじの『ダイビングクイズ』や客席座敷時代の新宿末廣亭から生中継の『日曜演芸会』の柳家小せんら大して面白くないお笑い七福神の末廣珍芸シリーズなどが続き、NETからテレビ朝日に変わってからの『新婚さんいらっしゃい』や『パネルクイズ アタック25』が放映されるまで日曜の定番となっていた。
記憶が蘇ります。
確か「スチャラカ社員」のギャグにこういうのがありました。
上司:キミはなんでいつも遅刻してくるのかね?
部下:勘弁して下さい、その代り早く帰ってますんで。
妙に納得させてしまう、関西ならではの秀逸なギャグでしたね。
路いとし・喜味こいしの漫才は、この歳になって聴き直すと面白いですね。獅子てんや・瀬戸わんやは、子ども受けする漫才だったような気がします。テレビの前で笑い転げていました。名古屋弁の南利明も大好きでした。脱線トリオだったんですね。由利徹、南利明、八波むと志、みんな面白かったです。八波むと志は、若くして事故で亡くなったのですね。
小生もこのオリエンタルカレーのコマーシャルを記憶していました。ごく最近レトルトがあるのを知り、買ってみましたが、味はイマイチでした。
カレーと言えば、我々が小学生の頃、テレビで少年ジェットをやっていて、確かこの番組のヒーローがSBカレーを宣伝していましたね。
少年ジェットのS&Bモナカカレーについてはいつか書きますね。