▶ 難攻不落の神聖ローマ帝国(高22期 松原 隆文)

「神聖ローマ帝国」 なんとも奇妙な国名だ。高校2年の時、世界史を選択した私はこの国名に大いなる疑問を感じた。なぜドイツ王国あるいはドイツ帝国ではないのか!とである。学問的興味というのはどの分野でも素朴な疑問から始まるのではないか。
 当時の中世ヨーロッパでは、イギリスはイングランド王国、フランスはフランス王国である。なぜドイツだけがこんな国名なのか?とである。この少年の日の疑問をずっと抱きつつ、歴史とは無縁の仕事を始めていつの間にか中年になってしまった。しかし仕事が軌道に乗り始めてこの疑問を解決すべく勉強を始めて今日まで続いている。
 中世ドイツ史はかなり難しい。それは対立軸が多過ぎるからだ。出版までこぎ着けた徳川慶喜公は対立軸が単純明快だ。要するに幕府側と薩摩長州側の日本近代化のヘゲモニー争いで、そこに超絶権威の朝廷が絡むという図式である。
 では中世ドイツ史はどうか?まず全史を通して、国王と国内諸侯との対立が常に縦軸として存在する。そしてローマ法王と皇帝の争いが横軸として出てくる。さらに後期に至ってマルチンルターが登場し、国内の宗教対立が大きな問題となり、さいごに黒幕のフランスがイタリア政策を巡って出てくる。そこには、政治的宗教的且つ理念的な争いがあり、とても俗凡の小生に克服できることではない。以前ブログに連載しようと計画したが、断念してしまった。
そこで、神聖ローマ帝国がいかに難攻不落のテーマかを少しだけ紹介したい。

題して「ドイツ中世史の一断章 神聖ローマ帝国の光と影」
投稿は以下のとおり、3回を目安としている。気の向く読者は十代に戻ってもらいたい。

一回目 ザクセン朝の始まりから皇帝戴冠まで
二回目 叙任権闘争
三回目 前期シュタウフェン朝の時代及び若干のコメント

    ▶ 難攻不落の神聖ローマ帝国(高22期 松原 隆文)” に対して2件のコメントがあります。

    1. 高22期 伴野 明 より:

      十代に戻ろうと思います。横高時代、日本史は好きだったのですが、世界史の授業が嫌いでした。主にヨーロッパ史ですね、宗教改革、マルチンルターとか、その辺りが馴染めなくて。
      もしかしたら担当の先生の好き嫌いだったのかも知れない。
      今、逆に興味が沸いてきまして、1,2,3回を楽しみにお待ちしています。

    2. 松原隆文 より:

      どの程度歴史の真実と醍醐味に迫れるか自信がありませんが、かなり以前の原稿が有るので、これを加筆修正し、面白いエピソード等も出来たら入れましょう。

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