▶コラムの巨星墜つ:石井英夫先輩の訃報(高22期 高橋克己)
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12月29日の『産経(デジタル版)』に往年の「産経抄子」石井英夫先輩(高3期)の訃報が載った(彼の後の「産経抄子」は輪番制らしい)。『産経』を読み始めたのは確か平成の初めのことだから、この偉大な先輩に私淑して30年以上になる。
「産経抄」35年執筆 コラムニストの石井英夫さん死去 91歳、産経新聞元論説委員
https://www.sankei.com/article/20241229-QAI5MDBHPJNDLIBEXLOTGIZ72M/
鋭い視線とユーモアと 「耳かき一杯の毒を盛る」 「産経抄」の石井英夫さん死去
https://www.sankei.com/article/20241229-UEIC4IKH75NWVGFNLEAM6723WQ/
きっかけは平成元年からの人事課長職のストレスで喘息に罹ったこと。金沢八景の自宅から天王洲アイルまで通えなくなり、三重県津市の工場に転勤した際、単身生活では朝刊だけの『産経』がコストもゴミ出しも楽、と言うだけの理由だった。それは本社に戻り、社宅にしてもらった大井町のアパートの単身生活でも続いた。
それにしても『産経』の紙面は実に刺激的だった。他紙を並行して読んでいた訳ではないのでこういう言い方もナンだが、とにかく他と違うのだ。01年に産経新聞社が上梓した『産経が変えた風』なる自画自賛本の帯にはこう書いている。
―― 「朝日」と比べて下さい。日本を危うくする論調に良識をもって立ち向かう産経新聞。文化大革命の実情をいち早く見抜き、北朝鮮による日本人拉致を初めて世に問う。わが国を代表するクオリティーペーパーが、時代の風を変える。――
以来4分の1世紀、拉致被害者は一部だが帰国を果たし、『朝日』によるいわゆる従軍慰安婦の捏造も暴かれた。そして『産経』は「時代の風」のみならず私の歴史観やものの味方をも変えてしまった。同じように私も、同紙の「正論」欄と「産経抄」に別人にされた。
14年3月にリタイアし整理した荷物に、「正論」や「産経抄」その他の「切り抜き」が詰まった段ボールがあった。津市→大井町→台湾→自宅と辿ったのである。かつて学んだ「正論」執筆陣のうち渡辺昇一、岡崎久彦、木村汎、屋山太郎、西尾幹は既に亡く、今や加地伸行と平川祐弘を残すのみだ。そして「産経抄子」も逝った。
19年に、来春筑波大学に進学する悠仁殿下に半藤一利がご進講をした。私は眉を顰め、「平川祐弘辺りに改めてご進講を依頼し、半藤の話を中和すべき」、と別の欄に投稿した*。昭和天皇がその人格形成期に乃木希典や杉浦重剛に接したことは良く知られている。
その伝でゆけば、私の人格形成は四十を過ぎて『産経』の「正論」と「産経抄」によってなされたといえる。「正論」を読み、また石井氏の「産経抄」をノートに書き写して、彼の当意即妙の文章や言葉遣い、そして社会事象の捉え方などを学んだからだ。
高校だけでなく大学学部の先輩でもあり、横須賀浦賀の出身であることも、石井氏に私淑した理由である。22期4組のクラスメイトの父上は石井氏の将棋の友でもあった。彼のコラムをまとめた単行本の一冊はAmazonでも売り切れで、確かそのクラスメイトから頂戴した。
謹んで石井英夫氏のご冥福を祈ります。 おわり
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追記 文末の朋友会の記事は、アーカイブに石井氏の記事があると知って、朋友会からメールして頂いたPDF?です。このデジタル時代には貴重なアナログの仕組みになっている様です。
そんな立派な先輩がいるとは知らなかった。貴兄の思想形成に大きな影響を与えた人なんですね。
興味深いのは、四十歳頃から現在の考え方の基礎が出来はじめたということです。小生なんか進歩がないんでしょうね。若いときからほとんど考え方が変わっておりません。
今日は大晦日ですが、日々平穏でいられること自体に感謝です。