▶昭和のラジオ・テレビ物語:第7話(高22期 高橋揚一)

【リズミック・ダイヤル】(昭和100年1月)

水泳部を2年の夏で辞めて帰宅部となってからはラジオを聴く機会が増えた。京浜急行提供ラジオ関東の『リズミック・ダイヤル』は16時5分から。「ハーバーライト」や「星を求めて」などビリー・ヴォーン楽団の曲がテーマ曲。三浦海岸駅が開業し馬堀海岸が埋め立てられて集客が移行した。京浜急行の歌も懐かしい。
♬ママ素敵 パパご機嫌 行こう行こう山へ 赤い電車に白い帯 京浜京浜京浜急行♬

夜は同じくラジオ関東で22時30分から10分間『杏林フォークカプセル』。無名時代の森山良子が学校帰りのセーラー服のままスタジオに入って放送していた。フーテナニーやカレッジ・フォークの火付け役のような番組。小室等や石川鷹彦や麻田浩らも共演し「フーテナニーって何?」「今日は何を弾こう」「布団敷こう」といったつまらないギャグを交えてトークとギターで森山を支えている。スポンサーの杏林製薬に申し込むと「Song Book」を送ってくれて、森山たちの初期作品が手書きの楽譜とともに一覧でき、こんな感じなら自分にもできそうと思える内容だった。メジャーになってからの森山の曲よりも素朴で良い曲が揃っていたと思う。50年以上の時を経てアートネイチャーのCMに出演してるとは思えない出来映えだった。オープニング曲は森山自身作詞作曲の「この広い野原いっぱい」。エンディング「今日の日はさようなら」はオリジナルと勘違いされることもあるが金子詔一の作詞作曲。

23時頃からはニッポン放送。10分程度の番組が並んでいた。
まずは『バイタリス・フォーク・ビレッジ』。1966年に始まって司会はジミー時田、広川あけみ、佐良直美、吉田拓郎、かまやつひろし、谷村新司、山本コウタローと続いたが、1982年に幕を閉じた。『杏林フォークカプセル』時代の森山良子がゲスト出演したこともある。佐良直美の頃しか聞いていなかったので佐良のオープニング曲しか覚えていない。

続いては『パンチ・パンチ・パンチ』。モコ(高橋基子)、ビーバー(川口まさみ)、オリーブ(シリア・ポール)が初代3人娘。スポンサーは平凡パンチの平凡出版。

オープニング曲のほか3人娘による「わすれたいのに」や「海の底でうたう唄」は印象深い。

その続きは『陳平・花の予備校』だったか。深夜0時を過ぎていたかも知れない。歌番組ではなく野末陳平が若い女性たちと際どい話をするトーク番組。「チンペイさ〜ん」「今日はこんなメガネを持ってきたぞ。このメガネをかけると何でも透けて見えちゃう。お前たちの服だって透けるんだから。どれどれ、お前の臍よーく見えてるぞ。お前のはどうだ。あれ?お前の臍はこれか?随分長いなあ〜。えっ、こんなに長いの?」「チンペイさん、それ私の盲腸手術の傷の跡よ」。
オープニング曲はジャック・コリエ楽団の「チン・チン・ルンバ」。

午前1時を過ぎると『オールナイト・ニッポン』だが、夜更かしはほとんどしないのであまり覚えていない。オープニング曲はハーブ・アルパートとティファナ・ブラスの「ビター・スウィート・サンバ」。

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