▶節分・立春・初午(高22期 加藤 麻貴子)

2月の初めは季節の移りを感じる。2日の節分祭には神社でご祈祷を済ませ家内で「福はうち福はうち、鬼はそと」と豆まきし神棚の節分祭のお札を新しいものに替える。翌日は立春、寒中見舞いはこの日までと正月以来気持ちが急く。節分以降の最初の午の日(今は土日)は稲荷講の初午祭(はつうまさい)、子どもが待ち焦がれるはずの祭りである。お稲荷さん(稲荷神社)は各町内に在る。
その初午祭の今昔
今は70歳を超える人たちが子どもだった頃には町内の子どもたちが稲荷神社に籠り餅やするめを焼いたりカルタをしたり皆で仲良く一晩を過ごした。町内の母たちは油揚げのご飯を炊いて子どもたちに振舞う。「てんてこまんてん、てんてこまんてん、てんてこまんてんてん」と早朝から太鼓を打ち鳴らす。夜半には近隣の町内の稲荷さんの「じぐち(地口行灯)」を破りに行く。暗闇の中見事破ってくると年長の子どもに「良くやった!」と褒められ、怖くなって戻ってくるとお目玉が待っている。それでも楽しい稲荷講である。
40歳代が子どもだった頃、さすがに稲荷神社に泊まることはなくなったが夜遅くまで遊ぶ。お稲荷さんに投げられたお賽銭は子どもたちが自由に使える。小六か中一の子が大将になり年少の子を引き連れて近くの食堂でラーメンを食べたり、駄菓子屋でお菓子を好き放題買ったりとこの日は無礼講。おとなは変わらずに人参と油揚げのご飯を炊き、子どもたちに振舞う。「じぐち」を破りにいく風習はなくなったが子どもたちは「じぐち」を作ってお稲荷さんの前に並べる。
そして今、町内の小学生は全部でふたり、初午祭は成り立たない。70歳代の元子どもたちが太鼓を打ち鳴らし「じぐち」を並べたお稲荷さんの前で餅を焼き汁粉にして食す。午後三時には稲荷神社で五穀豊穣祈願をして新撰物のお下がりで直会(なおらい)をしてお開きとなる。
初午祭が終わると直に春一番がやってくる。




社会に出た50年前に実家からも出たので、亡父が豆をまく姿を最後に見てから半世紀になるなあと、この投稿を読んで懐かしさに浸りました。
普段は寡黙な父が、嬉々として豆をまくのがとても可笑しかった。
我が家も子供が独立してからは、ずっと何もしない2月2日になってます。
加藤女史も「福は内、福は内、鬼は外」ですね。小生もそうです。しかし「鬼は外、福は内、福は内」という地方もあるようです。最近は外来のハローウインで賑やかですが、豆まきや十五夜の伝統を残していきたいものです。ススキが簡単に手に入らなくなった昨今、小生はススキを庭に植えました。
うちの親父のは、確か「鬼は外、鬼は外、福は内、福は内」だったかな。
やはりね。何回まきますかね?小生は2階の事務所で1回、2階の自宅で一回、下に降りて、一階の自宅の勝手口で一回、座敷掃き出しで一回、さいごに玄関で一回です。最近は豆を買うので量が少なくて少しづつまかないと、足りなくなりますね。歳の数を食べるわけにも行かないので、少し食べて残りは、鳥にやります。