▶昭和のラジオ・テレビ物語:第9話(昭和100年3月)(高22期 高橋揚一)

【アベック歌合戦】
♬レディース・アンド・ジェントルマン、おとっちゃん、おっかさん、おこんばんは アベック歌合戦ざんす♬ チョンチョンチョンチョチョチョンチョチョンチョン ♬あんたのお名前なんてえの♬ ♬○○○○でございます♬ ♬こちらのお方のお名前は♬ ♬□□□□でございます♬ ♬そもそもふたりの関係は♬ ♬恋人同士でございます♬
司会のトニー谷が拍子木を叩きながら男女のカップルに自己紹介させていく『アベック歌合戦』。2人が順に歌を披露する一般視聴者参加番組。お祖母さんと孫のカップルも出演していたが、芸能人の男女がゲスト出演したこともある。
ソロバン片手に繰り広げられるエンターテインメントを真似てソロバンの授業で悪ふざけをする生徒たちもいた。気持ち悪いほど独特なトニー谷の風貌が話題を呼び、「〜ざんす」は赤塚不二夫の「おそ松くん」に登場するイヤミの口癖ともなる人気ぶり。

『アベック歌合戦』は1962年から日本テレビで放映されたが、最初は関西のラジオ番組として1950年代に始まった。同じ頃NHKラジオでは『三つの歌』が放送されている。一般視聴者が参加して、ピアノのイントロを聴いてその課題曲を歌い上げる。課題曲は3曲。歌えた曲数によって賞金額が異なっていた。司会は宮田輝アナウンサー。楠トシエに並ぶCMソングの女王天地総子の父親の天池真佐雄がピアノを担当。3歳の頃だったのに祖母がいつも口ずさんでいたのでテーマソングは脳裏にはっきり残っている。
♬三つの歌です君も僕も あなたも私もほがらかに 忘れた歌なら思い出しましょ みんな見事に歌いましょう♬

視聴者参加番組ではNHKの『危険信号』がエキサイティングだった。初代司会者は横高OB中31期木島則夫先輩。その後金子辰夫アナウンサーが引き継いだ。参加者は2人組で、先頭に針を付けたHOゲージの電車が円形の線路を回って風船を割らないうちに課題作業をしているひとりが走って戻って風船を持ち上げる。もうひとりは電車の動きを見守って課題作業者に電車の接近を知らせて、制限時間内に課題作業を終えて風船が割れなければ合格。初期は在来線初の電車特急こだまだったが新幹線が開通してからは超特急ひかりのHO模型に替えられた。

ゲストが一般視聴者で回答者が著名人というクイズ番組もあった。『私の秘密』は登場した一般視聴者の職業や業績などを芸能人や著名人たちが当てる。司会は高橋圭三アナウンサー。ほかにも『それは私です』や『私だけが知っている』などの似たような番組もある。

一般視聴者参加番組は面白くないことが多く、芸能人やお笑い芸人たちのみによるバラエティ番組やクイズ番組が徐々に増えていって現在に至っている。最初から芸能人だけによるエンターテインメントにNHKの『ジェスチャー』がある。柳家金語楼と水の江滝子がレギュラーのキャプテンで男女それぞれ3名ずつのゲストが加わって男女対抗でジェスチャーを演じてその内容を当てるゲーム。司会は高橋圭三アナウンサーや小川宏アナウンサーなどが務めた。

1960年代後半になるとエレキブームの到来で『勝ち抜きエレキ合戦』が若者たちの人気を集めた。一般視聴者のエレキバンドが対抗形式で競い合う。当時は歌の入らないベンチャーズのインストルメンタル曲などが主流。司会は鈴木ヤスシ。中学校の修学旅行で旅館のホールでテレビ放映された時は学生たちで満杯となったが、憲兵のような鬼教師にテレビのスイッチが切られてしまった。当時はエレキは不良の楽器とされていた。
