▶防衛大学校卒業にまつわる行事(高22期 加藤 麻貴子)

我が家は1998年以来防衛大学校の留学生の協力家庭(ホストファミリー)をしている。休日に遊びに来て時には宿泊していく。今年は防大本科のタイ王国の留学生ポップ君と研究科後期在籍のベトナムのソン君とゴック君が卒業する。

ポップ君は2020年10月コロナ禍の来日となった。通常なら4月に入校し日本語研修1年を経て本科で勉学を始めるのだが、69期の留学生はたった半年の研修だけで本科の学生と共に日本語で授業を受け始めた。さらに外出禁止の期間もあり、つらい日々も多かったと思うが無事卒業の運びとなった。我が家に来るとタイの料理を作ったり、小学生の孫とボードゲームで本気で遊び負かしたり、食欲を満たすと爆睡する、という優秀だが正直で素直な可愛い一面があった。

ソン君とゴック君は日本語研修1年、本科4年、研究科前期後期で5年勉学に励んだ。18歳で来日して10年、人生の三分の一であるが実際には二分の一であろう。一緒に春巻きをつくったり、ハイキングに行ったり楽しい時を過ごした。多感な変化の多い青年期をそっと見守った。ケガや病気にもめげず悩みも多かったと思うが兎に角やり抜いた。

3月は卒業に関する行事が多かった。

■ 徽章授与式と卒業お祝い会
学校長から留学生に防大で学び学位を収めた証の徽章が授与された。皆神妙且つ晴れやかな表情で学校長から徽章を付けてもらった。写真撮影のあと防大と協力家庭会の共催で防大の食堂にて本科卒業の留学生のための祝賀会を催した。ソン君とゴック君は私たちの家族として出席、ささやかではあるが心のこもった会であった。留学生たちは国ごとに学生生活をユーモラスな動画で紹介、そして流暢な日本語で感謝の言葉を述べ協力家庭の父母に花束を贈呈した。ポップ君には充分なことをしてあげられていない思いが強かったのに、スピーチの時に涙ぐみカレーライスは世界一と締めくくった。

コロナ禍前は卒業式の後に協力家庭主催によりホテルなどで来日家族と留学生全員で祝賀会を開いてきた。ここ数年は留学生の数も増え卒業式に出席する来日家族も増加してくると次第に協力家庭だけで開催するのが経済的にも仕事的にも大きな負担となっていた。しかしご家族もくる中お祝いもせずに送り出すわけにはいかないと献身的に祝賀会を開いてきた。協力家庭はもちろん無報酬でありお祝い会のためにかなりの出費も重なった。防大との情報交換会でその件で話し合ううちに学校側も私たちの負担の大きさに気づくこととなりアンケート調査が行われた。その結果コロナで4年間中断後の昨年のお祝い会は実験的に防大と共催というかたちになり会場も大学の食堂となった。協力家庭の負担が大幅に減り有難かったが卒業式前の開催なので来日家族や下級生たちと一緒にお祝いはできなくなったのは物足りない思いがする。

■ 謝恩会
翌日は本科学生主催による謝恩会が催された。私たちの先輩斉藤隆元統合幕僚長(現防大横須賀協力会会長)、前学校長、横須賀市長(代理)、商工会議所会頭などが出席された。ポップ君がお世話になった教授や親友にも挨拶、学校での生活も垣間見えてみなに愛されリスペクトされていたのを知り誇らしかった。彼らの訓練部長は東良子海将補、防大40期の女子1期である。学生たちが憧れの眼差しで仰ぎ見る誠に素敵な人であり人気があり写真撮影には列ができるほどだった。2022年に発行された竹田頼政氏のドキュメント「桜華(おうか)~防衛大学校女子卒業生の戦い」の最終章は彼女の物語である。

祝杯をあげ来賓と主催学生の挨拶、酒樽をわり桝酒が振舞われ、学生たちは学校長にその枡にサインをしてもらい大喜び、女性のリーダーの応援団のパフォーマンス、最後は肩を組んで皆で校歌を歌いあげお開きとなった。来賓への招待状など全て学生たちが運営をにない参加のお礼状まで届き感心した。

それとポップ君のアテンド能力に驚かされた。まず会うと必ず褒めてくれる、服装やアクセサリーなど何かしらを褒めてくれる。立食の時には若者とは思えぬ気遣いをしてくれる。これも軍人になる訓練なのだろうか。日本の男性諸氏は見習う方が良いと思った。

▶防衛大学校卒業にまつわる行事(高22期 加藤 麻貴子)” に対して3件のコメントがあります。

  1. 高橋克己 より:

    歴史ある軍港市、横須賀で生まれ育ったことを誇りに思える、とても素晴らしい投稿ですね。
    数えると今年で丸27年になる訳ですが、かくも長い間、東南アジアからの大勢の留学生を世話するなどは、並みの家庭でできることではないです。さぞご苦労の多かったことでしょう。
    だからこそ、留学生たちが防大で学んだことやホストファミリーで味わった体験を糧に、それぞれの祖国に戻って立派に奉仕する様子を見守ることの喜びも、比例して大きいのだろうと思います。
    カッコいい徽章をひとつ貰うべきですね。

  2. 向坂勝之(12期) より:

    かつて私の家は、防大の在る小原台とは谷一つ隔てた桜ケ丘にありました。我々が兄弟が結婚して家を出てしまうと2階の三間ほどは使われなくなったので、両親は防大生の為の「週末下宿」(当時はそう呼ばれていました)に貸して居りました。1970年代から1990年代初めまでであったと思います。
    留学生のための「ホスト・ファミリー」とは少し違いますが、一般の防大生が週末は寮を離れ、私服に着替えて街に出たり、日がな畳の上で寝転がるためでした。両親は我々兄弟の代わりのように防大生と接して居り、殊に当初の頃の生徒は、私の両親を田舎の親のように慕ってくれたと、よく話して居りました。結婚して家を離れてしまった我々は、個人的には知らない方々ですが、横須賀には他にも「週末下宿」を提供していたご家庭があったのでしょう。
    今もそういう習慣が残っているのでしょうか?

    1. 加藤麻貴子 より:

      コメントをありがとうございました。昔は日本人の学生にも受け入れ家庭があったと聞いたことがあります。もしかすると向坂さんのご両親のように「週末下宿」だったのかもしれません。今は仲間同士でアパートを借りて着替えの場所にしているようです。でも「週末下宿」の習慣が復活すると双方に良いかもしれません。

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