▶ 「産経抄子」石井英夫を偲ぶ会参加記(高22期 高橋克己)

4月4日にプレスセンターで行われた産経新聞社主催の「石井英夫を偲ぶ会」に参加しました。石井英夫氏(高3期)は横高から早大政経新聞学科を経て産経新聞社に入り、30代後半から同紙コラム「産経抄」を35年間も書き続けた、コラムの申し子でともいえる方でした。
参加経緯はこうです。小生、長らく「産経抄」を座右にしていたので、昨年12月に亡くなった英夫氏の追悼ブログを言論サイト『アゴラ』に寄せたところ(本欄にも転載)、それに目を留めた吉田信行『産経』元論説委員長が、『HANADA』3月号の石井追悼文に一部を引用したのです。
別ルートは本欄寄稿者の高22期加藤さんの関係です。ご主人達男氏(高17期)のご両親がかつて近所の誼で英夫氏の仲人をなさっていたところ、達男氏の友人で『産経』OBが『HANADA』の吉田追悼文を通じ小生の名前を知り、加藤さんと小生が同級であることが結びついたのです。
斯くて小生、招待された加藤夫妻の付録となった次第。当日は『産経』OBを中心に凡そ80名ほどが参集、1時間半にわたって英夫氏を偲びました。思い出を語った方々には、90歳を超える同期入社や歴代社長らに加え、保守紙らしく山谷えり子参議院議員の顔もありました。
名の知られた方には、頭に刻むかのように直立不動で話を聞いていた花田紀凱編集長、偉そうに握手して回る門田隆将氏、将棋好きだった英夫氏らしく佐藤康光元棋士会会長、隅っこで何杯もビールを煽る阿比留瑠比記者や受付には小生意気なコラムを書く乾正人氏の姿もありました。
ネット時代の昨今は、記者の名前を紙面で知るだけでなく、お顔もyoutube番組などでもしばしば拝見するので、先方は小生を知らなくても、当方は彼らを良く知っている。そこで、「吉田信行さんに追悼文を引用された者です」と自己紹介し、立ち話をすることが出来ました。
これも石井英夫先輩や横高同窓のお陰と、改めて母校に感謝するひと時でした。(おわり)
【添付資料】
● 月間HANADA令和7年3月号石井英夫追悼特集
● 石井英夫氏を偲ぶ会配布記事
なんとも不思議な結びつきで偲ぶ会に出席いたしました。ひとり一人の弔辞が静かに心に届きました。1964年の東京オリンピックの記事はあたかも私が観客の一人となってオリンピックの開会式に参加しているような臨場感あふれる文章に感動いたしました。