▶壊れた椅子の話(高22期 高橋克己)

台湾高雄市の子会社に赴任したのは、1月に数年を特養で過ごした母の寿命が尽き、3月に出先の新橋駅で大震災に遭い、7月に還暦を迎えた2011年の12月30日だった。旧正月の台湾の初出勤が元日だというので、年越し蕎麦を食べる間もない慌ただしさだった。
大晦日31日、翌朝6時半に迎えの車が来るので早めにベッドに入り、うとうとしていると突然の大音響と地響き。飛び起きて時計を見るとかっきり12時で、スワッ大陸からのミサイル攻撃かと、8階の窓から外を覗くと、何とあちこちで鳴らしている爆竹だった。
早速の異国ならではの手荒い洗礼だった。そして翌日からは前任者と引継ぎで、高雄・台中・新竹・台北の顧客、台北のパートナー会社、販売商社、仕入先商社、保険会社、銀行などへの挨拶回り、あっという間に10日が経った。船便の荷物も到着し、1月も末になる頃、異変は起きた。
腰が猛烈に痛いのである。その5年ほど前にもギックリ腰で10日間入院した。大井町の単身赴任アパート(持病の喘息が金沢八景から品川までの満員電車を受け付けなかった)で寝返りも打てなくなり、子供たちに来てもらって、救急車で広尾病院に担ぎ込まれた。
高雄のアパートはベッドルームとバストイレが2つあり、リビングでドライバーの素振りが出来るほど天井も高い。転勤疲れに加えて、きっと、そこのソファの据わり心地が良過ぎたのだ。これは拙いと土曜日、椅子の物色にアパートの目と鼻の先の「漢神デパート」に赴いた。
デパートは名前の通り「阪神百貨店」と提携していて、社長は元阪神百貨の日本人だとは、1年後に入会したロータリークラブで知った。10階から上は43階までホテルになっている。家具売り場に行くと、茶の総革張りで電動式の立派なリクライニングチェアが置いてある。ドイツ製で15万元の値札が付いていた。
当時は約2.7円/台湾元だったので(今は5円前後)日本円で約40万円、とても手が出ない。試しに「幾らに負けてくれるの?」と日本語で聞いてみる。すると、日本語を話せないその若い店員を押しのけるように、他の売り場の日本語のできる中年女性が現れた。
家具売り場の責任者らしき男性とのやり取りを暫し眺めていると、中年女性が指を7本出して「7万元」という。半値以下だが19万円はとても出せない。仕方がないのでそれを諦め、件の中年女性に「近くにこういう椅子を売っている店はないか?」と尋ねた。
すると「あるよ、チンネンルー」という。「漢字で書いて」と私、すると「青年路」と紙に書いて見せる。家具屋街だという。「地図を書いてくれる?」と私、すると「タクシー、チンネンルー」というので、玄関前で拾い、運転手に「青年路」の紙を見せた。
それまで工場とアパートの間を車で往復しただけで、方向も距離感も全く分からない。何とデパート前の道(成功路)から南へ3本目が青年路だった。家具街は左折して青年路を東へ進み、南北の2本目(中華路)と3本目(中山路)の青年一路辺り、デパートから1kmもない。
何軒か店を覗き、黄色い革張りのリクライニングの置かれた店に入り、腰掛けて具合を試す。背もたれと連動して足置きが上下するタイプで、2万元(5万4千円)だった。が、他も見たいと思い、「他にもこういう椅子を売っている店がある?」と聞いてみた。
若い女性店員は何といったか。「ある、ついて来て」と数軒先の店まで案内してくれるではないか。驚いたのなんの、商売敵まで案内するとは、親切心が身に染みた。が、買ったのは黄色のではなくて、案内された店のオットマン付黒革製2,2万元(約6万円)だった。
クレジットカードを見せて「OK?」と私。経営者の奥さんらしいおばさんが「OK」とオウム返ししつつ奥へ。巻紙を手に現れたが、カードリーダーへのセットに苦戦している。その間に、旦那と男性店員が背もたれを頭で支え肘掛けを肩に乗せて、2階から降りて来る。
住所「光明街」(コンミンチェ:月に1~2度の台北出張の度に、新幹線左営駅からアパートまでタクシーを何度も使ったが、私の「コンミンチェ」は一度も通じなかった)を紙に書き、同乗する意思表示をすると、「OK、OK」。支払いを終え、青い軽トラでアパートへ。
だが、旧正月前のパレードか何かで「成功路」から「光明街」に左折出来ない。すると旦那が交通整理の巡査に、車窓越しに一言二言、するとロープが外された。斯くてリクライニングチェアは無事、我がリビングに鎮座と相成った次第。
あれから11年が経った(つまり今から2年前の)ある日、いつもの様にリクライニングのレバーを押して背もたれを倒すと、背もたれが何の抵抗もなくそのまま床までリクライニングしてしまうではないか。体はちょうど裏返しの逆エビ固め状態に。
金属疲労で背もたれを支える左右のパイプが折れたのだ。座面の高さを保つパイプもパイプが折れた煽りで溶接部が壊れ、約10cm沈んでしまった。応急処置を考えた。背面のチャックを開け、左右の背もたれパイプに突破り棒を差し込んで、後ろに倒れないようにした。
座面の持ち上げは、あり合わせの木の箱を座面の下に置いて数センチの嵩上げに成功した。が、このまま使ったのでは直ぐに突っ張り棒が折れるだろう。そこで、チェアを壁に押しつけて、背もたれが後ろに倒れないようにし、使い続けること2年が経過した。
そしていよいよ棄てる日が来るのだが、その前に一度、修理を思い立った。パイプを溶接してくれる業者を探したのだ。「金沢八景近辺・溶接業」でググるとあった。早速、追浜本町の「A溶接工業」に電話を入れてみた。以下はその事務の方とのやりとり。
当方:六浦に住む高橋と申します。お宅さまで椅子の折れたパイプを溶接して頂けるでしょうか。リクライニングチェアです。パイプが折れて背もたれが倒れたままなのです。10数年前に台湾で求めた品で愛着があるので、何とか修理できればと思い、お電話差し上げました。私、運転できないのですけど、お宅さまならタクシーで持って行けると思います。
先方:ご事情判りました。ここは事務所なので、代表に連絡させます。電話番号を教え下さい。
メールアドレスを聞いて、改めて前記の事情と住所・電話番号などを知らせ、待つこと数日、一度外出時の電車内で着信あるも出られず。登録番号以外には出ないので、代表かと思いつつもそのままに。そしてまた数日、着信音に出ると代表だった。以下がやり取りだが、私の往信は省略する。
代表:一度電話したんですけどお出にならなくて。今静岡からなんですけど、溶接出来ますよ。火花が散らない溶接なので大丈夫です。工場は福浦なので椅子はこちらから取りに行きます。ぶっちゃけ申し上げて、5千円でやらせてもらいます。実費だけでも買った方が安いし、ご近所なので一律5千円頂いています。明日明後日に連絡させてもらいます。
ということで連絡を待っていると、翌日電話が入り、「今日明日は行けないのでまた連絡します」と代表。私から「急ぎませんので、ご都合の良い時にお願いします」、とお伝えしたものの、2つの理由でお断りすることにした。
1つは、「5千円で」と申し出られたが、往復の運搬と溶接込みでは如何にも申し訳ないし、代表の話振りや連絡の様子、また連休前でもあり、多忙なことがうかがわれたこと。他は、いつ来るとも知れない連絡を待つのが、他の事に集中できず、結構しんどいこと。
そこで事務所に電話を入れ、ひとつ嘘をついて、椅子を始末することにした旨を伝えた。その方便は、連休中の子供らが遊びに来て、私に椅子を買ってくれることになったというもの。
実はこの10数年、毎日何時間もPCに向かう生活で、デスクチェアも2本ダメにしたので、アルミパイプ製の疑似ラタンチェアを買ったのだった。3kgと軽くPE製のラタンも適度に弾力があり、作りも頑丈で掛け易いのである。が、狭い書斎に2つは置けない。
事務員さんも「それは良かったですね、代表に伝えます」と。並行して粗大ごみ収集サイトからソファ:500円(デスクチェアは200円/脚)をカード決済し、収集日5月20日を選択した。19日午後には、受付番号を貼付したブツをマンションの台車に乗せ、指定収集場所に出した。
市のサイトの椅子の記述は判りづらく、「金属部が多い場合は資源へ」とかと書いてある。出したのに収集されないと困るので、デスクチェアの時もハラハラした。20日も、午後に現場を見に行くときれいさっぱり収集されていてひと安心。税金の払い甲斐がある。
因みに三浦市の粗大ごみ引き取り料金は、30円/kgだそうだ。デスクチェアは7kg、リクライニングは15kgに相当するが、ほぼそんな重量だろう。
14年間酷使したリクライニングチェア、買う時と棄てる間際とに、日台の気持ちの温かい方々と触れることができ、とても後味が良い。記念に肘掛け部分の革を剥いだら、約30㎝角が4枚取れた。何に使おうか、と考えるのも楽しい気分になる。ありがとう。


