▶馬場さんの奇跡(高22期 松原 隆文)

6月30日、久しぶりに東京に出張した。場所は新宿都庁に近いNSビルの中にある会社だ。この会社が三浦の物件を購入し、売主が旧知の三浦の会社なのでご指名だった。その日は午後も三浦で決済があるので、早めに戻らなければならない。朝の九時半にセットしてもらい、三浦海岸発7時10分の電車に乗った。朝の特急はノロい。しかもクーラーが効きすぎて寒くなってきた頃、漸く9時40分品川に着いた。 私は大学に7年通ったので品川は乗り慣れている筈だ。
しかし、この日はどういう訳か山手線内回りに乗ってしまった。「高輪ゲートウエイ」と放送があり、アッと気づいて電車を降りて外回りに乗り換えた。5分ロスしたが、まだ時間は十分ある。新宿で降りた。都庁に20年通ったウチの有資格者が「南口で降りるんですよ!」とアドバイスをしてくれていたが、その南口が見つからない。西口でもよかった筈で、都庁方面の標識があったので歩き出した。しかしなんとなく不安だ。ノーネクタイながらスーツを着た企業戦士らしい人に早速尋ねた。以下のような遣り取りをした。
「NSビルに行くのですが、この道でよいのですか?」
「私もセントラルビルで、同じ方面なので一緒にいきましょう。」
これはありがたい。少し歩くと、セントラルビルの表示が見えた。
「ご主人、セントラルビルですよ!」
「分かってます。間違えるといけないので途中までいきましょう。」
なんと有り難いことか!動く歩道の出口近くに案内看板があり、これを見てくれるという親切ぶりだ
「矢張りもう一本向こうの通りです。ここを渡ってすぐです。」
「ありがとうございます。」と言って、名を名乗り、「三浦に来たら訪ねてください」と言った。
横断歩道もないが、走って道を渡り、向こう側に行ったら目当てのビルが見えた。エレベーターに乗って25階を目指す。今のエレベーターは優秀で、音もしないし、男なら皆知っている下半身がちぎれるようなあの不快感がない。25階でちょうど売主と一緒になった。
事務室に入ると社長が出迎え、「遠くからおいでいただき恐縮です」と言ってくれた。随分感じのよい人だと思った。書類のやりとりもすぐ終わり、「お支払いしてくださって構いません!」と言うと、「もう支払ってあります」という。なんと鷹揚な人なんだろう。
売主と買主による、この土地の進入路や近隣のことなどの一通りの打ち合わせが済んだので、ちょっと気になることを社長に尋ねた。というのも、会社の登記簿を見て、この会社が新潟から移転してきたことと新潟に支店があることを確認していたからである。
まさかとは思ったが、「ジャイアント馬場さんと何か係わりがありますか?」とである。
驚愕の答えが返ってきた。「親族です!」とである。五代前は一緒だったそうだ。「三条に支店がありますね。」と言うと「ウチも三条から出ました!」と仰る。ここからは馬場さんの話で盛り上がった。以下のとおり。
「私が高校生の時はよく試合を見に行きました。」
「社長が高校生の時は馬場さんは少し衰えていましたね。」
「はい」
「あの人の全盛期は昭和40、41、42、43、44、45年頃でした。私は馬場さんの熱狂的なファンでしてね。試合も見に行っています。最近はメールアドレスを《ジャイアントオフィス》にしたばかりです。皆さんちょっと馬場さんの話をしていいですか?」
「どうぞ!」
「普通、格闘家というのは体力が衰えると人気も無くなるものです。しかし馬場さんは体力が衰えても全く人気が下がることがなかった。馬場さんのファンは、彼がリングに上がっていてくれるだけで喜びかつ勇気を与えられました。稀有の人ですね!」
ついつい熱がこもってしまった。
その後、売主さんと社長が細かい打ち合わせをしている間も事務所の書斎などを見て廻った。
「社長、近衛さん好きなんですか?」
「いや、その本は頂いたものです。」
近衛さんとは近衛文麿のことだ。
テレビのモニターの前に無造作にCDが何枚か置いてある。見るとエリック・クラプトンだった。この有名なギタリストは名前だけは知っているが、残念ながら聴いたことがない。私はギターに関しては、ベンチャーズのノーキ・エドワースの演奏くらいしか知らない。
雑談を続けた。以下、
「社長、あそこは三浦でも絶景と言ってよい場所ですよ、静かですしね。」
「そうですね。」
「以前は、京マチ子や三船敏郎の別荘がありました。新潮社の寮もあったんですね。近年は曾野綾子さんが、自分の別荘にアルベルト・フジモリを匿っているという噂もありました。」
「ああ、ペルーのね。」
こういった具合だった。
最後に皆で集合写真を撮った。この社長、私のメールアドレスを分からないということで売主を通じて写真を送ってくれた。私が最近メールアドレスをジャイアントオフィスにした!とは言ったが、名刺にも何も書いてなかったからだ。
楽しい立ち会いが終わり、社長に「三浦に来たら是非寄ってください。馬場さんの本も6冊あります。本日はまことにおめでとうございました!」と言って、帰途についた。地下が嫌なので、表に出て南口を目指した。しかし暑い。三浦とは比べものにならない。15分も歩いたらヘトヘトになった。そして人が多い。人・人・人。それだけで疲れてしまう。
新宿に出ると、果たして日本は不景気なのかな?と思うほど活気がある。また、都会で知らない人に親切にしてもらえるのはとても嬉しいことだ。収穫の多い一日だった。
さいごに、この会社は、「馬場長」という新宿に本社がある会社で、代表取締役の姓は、当然のこと乍ら、「馬場」さんだ。尚、この拙文にて会社名を公表することについては快諾を得ている。
最後に、折角の機会なのでジャイアント馬場さんについてもう少し述べたい。
ジャイアント馬場という人は、リングに上がると見る者に不思議な安心感を与える人だった。なぜ不思議なのか?馬場さんはいつも穏やかな表情をしていて、争いごとや諍いとは無縁の佇まいを湛え、悠揚迫らざる風格があった。これが見る者に安心感を与えていたのではないか。しかもこの穏やかな人が、一旦試合が始まると、リング狭し!と暴れまくるのだから、ファンはたまらない。今思えばまさに奇跡の人であった。