▶横須賀高校校歌「坂東武者」「天がける白雲」「勝利を目指し」「春の日の花と輝く」歌唱Ver.(高22期 高橋揚一)

神奈川県立横須賀高等学校には2つの校歌があり、一つは旧制中学校校歌「坂東武者」、もう一つは新制高校の校歌です。新制高校に変わってもなお旧制中学校校歌「坂東武者」は愛され、OBOGの集まりや校歌祭などでも歌われ、応援歌としても使われています。 最も古い楽譜に従って作成しましたが、もしかするとOBOGの方々には、もう少し早いテンポで勢いを付けて歌われているかも知れません。ここでは最初の2音が8分音符になっていますが、付点8分音符と16分音符で記憶されているかも知れません。「学生時代」を想い出しながらご高聴ください。

もう一つは新制高校校歌「天がける白雲」です。1947(昭和22)年に施行された学校教育法に基づき、本校も旧制中学から新制高校に変わり男女共学となりました。その時「坂東武者」は女子が歌いにくい、新しい時代にそぐわないのではないかという意見が出て、新しい校歌制作の気運が高まりました。新制高校校歌の制作は、教師や在校生に公募するという形で始まりました。当選したのは、1位が高校2年だった三和義彦さん(高7期)、2位が新制高校初代校長中川鋭三郎先生が書いた詞でした。最終選考で三和さんの詞が選ばれました。中川校長の薦めでその詞を藝術院賞も受賞した当代随一の作詞家三好達治さんに補修いただき、現在の歌詞になりました。作曲は、音楽教諭の五十嵐(青山)光子先生が東京藝術大学で同級だった縁で團伊玖磨さんに依頼しました。

神奈川県立横須賀高等学校には4つの応援歌があります。「勝利を目指し」は最も親しまれた第一応援歌として代々受け継がれてきました。作詞は高校3期中村齊先輩、作曲は音楽科教諭五十嵐(青山)光子先生です。ほかに「黒潮どよむ(作詞:中学6期田中東洋男先輩/作曲:中学6期和知(大野)恒蔵先輩)」「朝滄溟に霧晴れて(作詞:高校8期安藤浩先輩/作曲者不詳)」「我らの力(作詞者不詳/作曲者不詳)」の3曲が記録として残されています。

「勝利を目指し」を作曲された音楽教諭の五十嵐(青山)光子先生は1951年(昭和26年)4月に神奈川県立横須賀高等学校に赴任されました。高22期6組は全員が音楽選択で、1967年(昭和42年)入学直後に先生の授業を2回受講しました。初回は2種類の校歌と応援歌の紹介でした。2回目の授業で教科書掲載の「春の日の花と輝く」を歌いましたが、それが最後の授業となりました。同年8月21日、先生は若くして帰らぬ人となりました。ご逝去6日後、音楽葬が講堂にて営まれ、約1,300名が参列して別れを惜しまれました。アイルランド出身の詩人トマス・ムーアにより作詞されたアイルランド民謡でアメリカのハーバード大学の校歌(卒業式歌)でもある「春の日の花と輝く」は、五十嵐(青山)光子先生を追悼する最もふさわしい曲として掲載しました。

▶横須賀高校校歌「坂東武者」「天がける白雲」「勝利を目指し」「春の日の花と輝く」歌唱Ver.(高22期 高橋揚一)” に対して2件のコメントがあります。

  1. 伴野 明 より:

    「天がける白雲か……記恩が丘に我らつどひぬ……」これですよ、これ。50年以上前に声を張り上げて歌った校歌。一瞬であの時代に戻れる歌。涙が「ドバッ」と出てきました。

  2. 岡田須美子 より:

    懐かしい校歌、応援歌をありがとうございました。うたいました。むろん、キーが高くてところどころ声はかすれましたが覚えていました。もう、60年以上経っているのに不思議ですねー。顧問だった五十嵐先生のお顔もなつかしいです。
     横高では試験がかなり大変でしたが、私の人生で第一に誇れる学び舎です。

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