▶住友洋画コレクションと「浦賀と住友重機械工業」(高22期 加藤 麻貴子)

昨日(8月22日) 観音崎の横須賀美術館で開催の住友洋画コレクションを観てきました。住友家15代当主・春翆(しゅんすい 1864-1926)と長男の寛一(1896-1956)が始めた美術品のコレクションでモネ、ルノワール、ピカソらのフランス絵画と藤島武二、梅原龍三郎らの洋画の名品です。岸田劉生の「自画像」、小磯良平の「踊り子二人」ギョーム・セニャックの「ミューズ」に心惹かれました。撮影禁止なので絵葉書を買って写真にしました。


また「浦賀と住友重機械工業」が同時開催されていて1897年の浦賀船渠設立に始まり2003年の住友重機械工業(株)浦賀工場が閉鎖となるまでに修理・建造された船舶は1000隻以上にのぼります。1960年代は浦賀で造船の槌音が止むことはなかったそうです。竣工された船舶の進水式の記念の絵葉書が壁一面に展示されていました。日本の造船の歴史を物語っていて郷愁をそそられ、現在の日本の造船業の衰退に寂しさも感じました。これらも撮影禁止でしたのでパンフレットから撮影しました。

▶住友洋画コレクションと「浦賀と住友重機械工業」(高22期 加藤 麻貴子)” に対して5件のコメントがあります。

  1. 松原隆文 より:

    私が小学生の時は電車が久里浜までしか来ていませんでした。母親に連れられて横須賀に時々行きました。お目当てはさいか屋のソフトクリームでした。
     帰りは浦賀発のバスに乗りました。浦賀ドックの全盛期でした。バスから船が見えます。
    お母さんあの船はなんだ!
    輸送船かしらねえ!
    何を運ぶんだ?
    まあ鉄とか石炭ね。
    どこに行くんだ?
    アメリカでしょうね?いい子だから少し静かにしていてね!
    (5分と持たない)お母さんあっちの船はなんだ。こんな具合だった。
    私の少し前の世代は中学を出て浦賀ドックに就職する生徒がかなりいました。
    遠い昔のことですね。

    1. 加藤麻貴子 より:

      コメントありがとうございます。
      浦賀船渠(株)で最初の船が造船されてからほぼ100年、1984年の帆船日本丸2代目は当時の皇太子殿下と皇太子妃をお迎えしての進水式が行われましたが2000年に最後の船が竣工して以来早25年、浦賀は衰退の一途、老人だけの町になりつつあります。工場跡地の利用もまだ未定のようです。ただ浦賀の東西の叶神社と行き来する渡船は人気で市外からの観光客で賑わっています。

  2. 松原隆文 より:

    以前浦賀ドックの事務所(住友重機)に仕事で行きましたが、すごく広い!
    もう10年以上前に、鷹取団地と横須賀市の共催で「住まいの有効活用」という催しをしました。その時、基調講演をしたのですが、講演後のブース相談会に浦賀の不動産業者さんが来ていました。
    私が浦賀ドックは横須賀最後のフロンティアではないでしょうか?と言ったら、「あそこは掘り返すと何が出てくるかわからない。豊洲どころではない!」と言ってました。
    最近の情報では、(土壌汚染は)それほどでもないようです。逗子マリーナのような総合施設ができれば再び繫栄しますね。

  3. 加藤麻貴子 より:

    読み返していたら重要な間違いにきづきました。2段落の3行目、修理・「建造された船舶は1000隻以上」です。100隻ではありません。
    住友の跡地何か良い活用が見つかると良いですね。

    1. 廣瀬隆夫 より:

      1000隻に修正しました。

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