▶散髪考(高22期 高橋 克己)

晦日に散髪に行ったところ、店の外で立ってまで待つ人がいる有様。諦めて巳年に伸びた髪を午年に刈る羽目になった。子供の頃は床屋さんと言ったのが、長ずるに連れて「さん」が取れ、更に長じた今や散髪屋。「さん」付けしていた頃の年の瀬ともなれば、子供らは座敷に上がってテレビを見ながら順番を待ったものだった。言い様がぞんざいになったのは、リタイヤして「安床」に通うようになったからかも知れぬ。「安床」とは「安い床屋」、すなわち1000~1500円ほどでカットだけするチェーン店のこと。
そういう言い方を初めて聞いた時のTPOを今もよく覚えている。昭和が終わる少し前に今の住まいに引っ越して、近所の床屋に通い始めたある日、「お客さん、ハゲがありますよ」と主人がいうのだ。知らぬ間に右耳の横に10円ハゲができていた。それをきっかけに、彼が問わず語りに「安床」が増えて客が減ったとボヤいたのだ。代金は洗髪と顔剃りも込みで3000円ほどだったか。
その日を契機に、短めだった髪を伸ばし始めた。ハゲ隠しのためだ。入社後、東京で3年、大阪で8年営業の仕事をしていたのに、管理職になるタイミングで本社の経理に配属されたことがストレスになったのだ。仕事の中身がさっぱりなのに、先輩は少しも教えてくれない。仕方なく書庫へ行って過去のファイルを調べ、見様見真似で覚えた。定型的な管理会計の業務だったので何とかなった。
3年経ち漸く慣れた頃に、今度は課長職で人事に行けという。組織人事だから採用・教育・組織改正・異動・人事考課など人に纏わる全てを扱う。初めて書いた組織改正の通知文に、部長から「高橋君、こんなに詳しく書かなくても良いんだよ」と言われた一言が忘れられない。
時は平成元年のバブル、内定を出して出しても学生が抜けていき、やっとの思いで書き集める詰める時代が2年続いた。挙句、3年経ってハゲはそのままなのに、今度は喘息に罹ってしまった。それから2年頑張ったが、春先恒例の全国大学回りで就職主任教授の接待がままならないほど喘息が酷くなり、三重県の工場への転勤辞令を自ら起案した。
その間はむろんハゲを見つけた床屋で刈っていた。が、三重の床屋でハゲを見られるのが憚られ、自分で刈っていたように思う。というのも、1度美容院に行った以外に散髪した記憶がないのだ。で、また3年が過ぎ本社の企画に戻された。喘息が癒えていないので自宅からは通えず、大井町のアパートを社宅にしてもらい、天王洲アイルまで通った。
水が合ったか仕事が合ったか、やがて毛が生え始めたのは良いが、それが何と白い。合わせ鏡で見るとそこだけ白髪なのだ。無いよりましと喜んでいると、数年のうちに頭頂部の幅15㎝ほどを残し、側面全てか白髪になってしまった。禿げ頭に多いいわゆる「すだれ」は、側面の毛を反対側に届くまで伸ばし、毛のない頭頂部を覆う。が、私のそのすだれが白髪で、禿部分だけが黒いのである。
そこで大井町のおばちゃん一人でやっている散髪屋で相談し、側面を短く刈って、黒い頭頂部だけ長めにする髪型を工夫した。つまり、白髪を刈り込んでいるので、まるで白髪などないように見えるという仕組み。だが髪は月に1cm伸びるので、1週間もすれば2mm以上伸びてしまう。床屋のバリカンは刈り込んでも最短2mmだから都合4mm、これでは一目で白髪と判る。
という訳で月に2度は散髪に行くのだが、おばちゃんのところへは後で出かける用事のない休日に行くので、洗髪・顔剃り抜きで、2000円でやって貰った。それには別の理由もあった。大人の喘息の多くは慢性副鼻腔炎を併発するので口呼吸になる。つまり、顔全体に蒸しタオルを当てられると呼吸ができないのだ。よって、長らく散髪で顔剃りをしたことはなかった。
そんな生活を10年余りしているうちに還暦を過ぎ、台湾の子会社に赴任となった。そこでの散髪にはひと苦労した。何しろ言葉が通じないから、どう刈るのか説明できない。そこで一計を案じ、ポンチ絵を描いて近所の散髪屋に赴いた。椅子が6~7席ある大きな店で、割烹着姿の女性が4~5人いる。見ると新聞を読みながら耳掃除をさせている客がいる。どうやらひと昔前はそういう類の店だったらしい。
少し横道に逸れるが、三重工場勤務の時に、広東省東莞市のプラスチック成型業の子会社に職長クラスを2名、製品移管の指導に派遣したことがあった。現場の話を漏れ聞くと、「彼らを床屋へ入り浸らせないようにしないと」などと言っている。東莞は風俗産業が盛んで、床屋がその種の場となっているという訳である。よって、高雄の床屋がかつて(今も?)そういう生業をしていたとしても不思議はない。
さて、ポンチ絵が奏功してその日の散髪は上手くいった。が、怪しいところはよして別の店を探していたら、「山本56理髪店」という看板を見つけた。そこには写真の様に、男性の頭のポンチ絵まで描かれているではないか。果たして、「山本五十六」の髪型をウリにする散髪屋だった。引き込まれるように入って見ると「日本平頭」というのもある。こちらは「角刈り」のことらしい。
「平頭」は好みじゃないので、側面1mm、角部3mm、頭頂部7mmと矢印で示してある、例の手書きポンチ絵を「イー、サン、チー」と各部を指さしつつ見せた。丸禿の主人は「OK、OK」と刈り始める。日本と違うのは、コード付きの電気バリカンが1mm間隔で凡そ10本ほど置いてあること。櫛とそれと器用に使い、鋏を一切使わずに仕上げてくれた。
「山本56」スタイルの特徴は、剃りを入れて富士額にすること、襟足を横一直線にかなり上まで剃ること、アイビーカットの様に揉み上げを短くすることの3点。刺青の客が多いので「黒幇」(やくざ)が贔屓なのかも知れぬ。代金は洗髪込み(顔剃りなし)で500元(当時のレートで1500円)だった。吸わないのに1年間、行く度に煙草を薦められた。遠慮していると思われたのかも。
1年経って市中心部の五福路/成功路から高鐵(新幹線)左営駅近傍に転居した。そこでは、おばちゃん3人がそれぞれ専用席で刈るcutのみ250元の散髪屋に通った。むろん「イー、サン、チー」のポンチ絵持参で。こちらは日本の「安床」風の、切り替えが利く髭剃りのような充電式バリカンだったが、櫛を起用に使うのは「山本56」と同じだった。
11年前に帰国してからはイオン1Fの「安床」QBか、中央に出れば三笠通の洗髪顔剃り付き2000円のチェーン店、あるいは衣笠十字路の洗髪顔剃り付き1700円の「将軍」に行く。後の2軒は「安床」というよりは安い散髪屋だ。QBもいつの間にか1100円が1400円まで値上がった。そのQBに、暮れは外待ち客がいたのだが、帰りがけに980円と書かれた散髪屋があり、寒空に外で2人立って待っていた。
最近はとんと入ったことがないが、街の普通の散髪屋は4000~5000円は取るのだろうか。が、経済的なことを抜きにしても、1時間掛けて散髪したところで、4~5日経てば「安床」で刈ろうが見た目には判らない、と考えるのが多くのリタイヤ組なのではないか。米農家にせよ、すし屋にせよ、散髪屋にせよ、会社化・チェーン化しないとやっていけない時代が訪れたようだ。 おわり


