▶デジタル進化論「第7話 スマートフォンへの飛躍」(高25期 廣瀬隆夫)

【デジタル進化論】
第一話 デジタルって何? 第二話 どうしてコンピューターができたのか?
第三話 大型コンピュータの君臨 第四話 より小さくより速く世界を変えた小さな石
第五話 パソコンの誕生 第六話 万人が使えるコンピュータへ
第七話 スマートフォンへの飛躍 第八話 インターネットという革命
第九話 メディアを変えるSNS 第十話 情報セキュリティという頭の痛い問題
WindowsやMacintoshの登場によって、特別な知識がなくても誰でも簡単に使えるパソコンが普及しました。その後、パソコンは携帯電話と出会い、融合し、誰もが「いつでも・どこでも」使えるコンピューターへと進化します。それが「スマートフォン」です。スマートフォンの誕生により、コンピューターは机の上の道具から、人々の生活に常に寄り添う存在となり、世界中へ一気に広がっていきました。
■ Windowsパソコンの普及
1984年に登場したMacintoshは、パソコンの概念を変えてしまうほどの大きなインパクトを業界に与えました。しかし、マイクロソフトが築いていたパソコン市場の牙城を崩すまでには至りませんでした。
当時はMS-DOSを搭載したパソコンがすでに広く普及しており、多くの企業やユーザーがその環境を利用していました。そこへ登場したWindowsは、既存のパソコンにソフトウェアとして導入できるという強みがありました。つまり、新しく高価なMacintoshを購入しなくても、Windowsをインストールすれば、Macintoshに近い操作環境を手に入れることができたのです。
そのため、多くのユーザーにとっては「新しいパソコンを買い替える」よりも、「今あるパソコンを活用する」ほうが現実的な選択となり、結果としてMacintoshの普及は限定的なものにとどまりました。

■ アップル、ジョブズを更迭
経営基盤を立て直し、一流企業の仲間入りを果たすため、1983年、ジョブズは大胆な一手に出ます。彼が目を付けたのは、ペプシコーラの「ペプシチャレンジ」など斬新な販売戦略で知られ、「マーケティングの天才」と称されていたペプシコ社長ジョン・スカリーでした。
「このまま一生、ペプシコーラの砂糖水を売り続けたいのか。それともアップルで私と世界を変えたいのか?」
この有名な口説き文句が決め手となり、スカリーはアップルへ移籍します。
スカリーはCEOに就任し、ジョブズとともに「ダイナミック・デュオ」と呼ばれる体制を築きました。しかし、強烈な個性を持つ二人の関係は次第に軋み始めます。経営の安定を重視するスカリーと、理想と革新を突き進むジョブズ。両者の考えはたびたび衝突し、社内の空気も揺れていきました。
華々しく発表されたMacintoshは、一部の医師や富裕層、デザイナーには受け入れられたものの、主戦場であるビジネス分野では販売が伸び悩み、在庫は増加していきます。若きジョブズの強引で独善的とも受け取られる振る舞いも重なり、彼は次第に取締役会内で孤立していきました。
そして1985年、経営不振の責任を問われる形で、ジョブズは自ら招いたスカリーによって実権を奪われ、ついにはアップルを去ることになります。世界を変えようとした創業者は、皮肉にも自分の会社から追放されるという結末を迎えたのです。
■ 経営者としてのジョブズ
アップルを追放されたジョブズは1985年、Macintoshと直接競合しないことを条件に、高等教育や研究機関向けの高性能コンピューターを開発する NeXT(ネクスト) を創業しました。NeXTのマシンは商業的には大きな成功を収めたとは言えませんでしたが、その技術力は非常に高く評価されます。実際、1990年には、現在のブログやSNSへとつながるインターネットの出発点ともいえる世界初のウェブページ(WWW)が、NeXTコンピューター上で開発されました。NeXTは、後のインターネット社会の土台づくりに重要な役割を果たしたのです。

一方ジョブズは、1986年にルーカスフィルムのコンピューター・アニメーション部門を約1,000万ドルで買収し、ピクサー・アニメーション・スタジオ を設立します。当初は経営的に苦しい時期が続きましたが、1995年、世界初のフルCG長編アニメーション映画『トイ・ストーリー』が大ヒットを記録。興行収入は世界で3億7,000万ドルを超え、アニメーション映画の歴史を塗り替えました。ピクサーは革新的な制作手法と物語性で業界に大きな影響を与え、2006年にはディズニーの完全子会社となります。

こうしてジョブズは、アップルを離れていた約10年間で、技術・デザインだけでなく、経営や組織運営における現実的な判断力も身につけていきました。この経験こそが、後にアップルへ復帰した際の大復活劇を支える大きな土台となったのです。
■ アップルの迷走、経営不振
1995年、Windows95の発売とともにパソコン市場は大きく動きました。直感的な操作が可能になったWindowsは爆発的に普及し、アップルの経営不振はさらに深刻化します。インテル製CPUとWindowsを組み合わせたパソコンを各社が製造する体制は「Wintel(ウインテル)」と呼ばれ、コンパック、ゲートウェイ、デルなどのメーカーが次々とシェアを拡大していきました。
この強力な連合に対抗するため、アップルは苦渋の決断を下します。それまで自社製品に限定していたMacintoshのオペレーティングシステム(Mac OS)を外部メーカーにライセンス供与し、互換機ビジネスへ参入したのです。いわば、マイクロソフトのビジネスモデルを模倣する形でした。
パワーコンピューティング、ラディウス、モトローラ、パイオニア、UMAX、デイスターデジタル、アキア、さらにはバンダイまでが参入し、Mac互換機が市場に登場します。しかし結果は裏目に出ました。互換機はアップル純正機より安価だったため、Mac市場全体は広がるどころか、アップル自身の売上を食い合う形になってしまったのです。3年間でMacintosh本体の売上は大きく落ち込み、得られたライセンス料もその穴を埋めるには到底足りませんでした。
こうしてアップルは、創業以来初めて「倒産寸前」とまで言われる深刻な経営危機に陥ることになります。


■ ジョブズ、アップルに戻る
1993年にジョン・スカリーが退任した後、アップルは立て直しを図り、次々と経営トップを交代させました。猪突猛進型の性格から「ディーゼル」の異名を持ったマイケル・スピンドラー、そして半導体メーカーのナショナル・セミコンダクターを再建し「再建屋」と呼ばれたギル・アメリオです。しかし、いずれの体制でも業績は改善せず、アップルの迷走は続きました。
1996年、アメリオは大胆な決断を下します。スティーブ・ジョブズが率いるNeXT社を約4億ドルで買収し、次世代Mac OSの基盤としてNeXTの技術(OPENSTEP)を採用することを決定したのです。この買収によって、アップルにジョブズが“戻る道”が開かれました。
やがてアメリオが退任すると、取締役会は起死回生を狙い、ジョブズを経営の中心に据える決断を下します。ジョブズは1997年、「年俸1ドル」という象徴的な条件で暫定CEO(iCEO)に就任しました。報酬よりも会社の再生に全てを賭けるという強い意思表示でした。
経営の第一線に復帰したジョブズは、すぐにアップルの方向性を示します。1997年に始まった広告キャンペーン 「Think Different」 は、単なる宣伝ではなく宣言でした。マイクロソフトの戦略を追うのではなく、独自の哲学とデザイン、創造性で勝負する——アップルが再び“自分らしさ”を取り戻すという復帰宣言だったのです。
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Think different
We make tools for these kinds of people.While some see them as the crazy ones, we see genius.Because the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.
クレージーな人たちへ
私たちは、そんな人たちのための道具を作る。クレージーと言われる人たちを、私たちは天才だと思う。自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えているのだから。(1998年1月18日 読売新聞 朝刊の広告より抜粋)
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当時のアップルは、互換機ビジネスの失敗などにより深刻な資金難に陥っていました。そこでジョブズは、生き残りをかけた現実的な選択としてマイクロソフトとの和解と協力関係を模索します。合意の柱は次のようなものでした。
1.WindowsがMacintoshのGUIを盗用しているとする長年の訴訟問題を収束させること
2.Macintoshはマイクロソフト製ソフトウェア(OfficeやInternet Explorerなど)の継続提供を受けること
1997年、マイクロソフトは議決権のないアップル株1億5,000万ドル分を購入し、一定期間保有することを発表しました。この提携は業界に衝撃を与えましたが、アップルにとっては資金面とソフトウェア供給の両面で大きな支えとなりました。一方マイクロソフト側にも、市場の独占性をめぐる規制リスク(独占禁止法)の中で競争相手の存続が望ましいという事情があったと見られています。
ジョブズは同時に抜本的な改革を進めます。互換機ビジネスから撤退し、OSの基盤をNeXT由来の技術へ移行。さらに複雑化していた製品ラインを大胆に整理し、「インターネット時代のパソコン」という明確な方向性を打ち出しました。ここで生まれたブランド記号が、製品名の頭につく「i」です。
その象徴が1998年発表の iMac でした。箱から出してすぐインターネットにつながる手軽さ、オールインワン構造、半透明でカラフルな斬新デザイン、親しみやすさと手の届く価格。従来の“灰色の事務機器”だったパソコンのイメージを一変させる製品でした。iMacは大ヒットとなり、発売後短期間で大量出荷を記録。アップル復活の狼煙となったのです。

■ ナレッジナビゲーターとニュートン
アップルは早くから、持ち運び可能な小型コンピューターの研究を進めていました。後に「PDA(Personal Digital Assistant)」と呼ばれる分野です。これは現在のスマートフォンやAIアシスタントの原型ともいえる発想でした。
スカリー体制下のアップルは、1987年に 「Knowledge Navigator(ナレッジ・ナビゲーター)」 という未来コンセプトを発表します。1988年にはそのビジョンを映像化したプロモーションビデオが公開されました。そこでは、タブレット型デバイス上で画面内の知的エージェントが音声対話を行い、情報検索や予定管理、予約手続きまでこなす様子が描かれています。音声認識・音声合成・AIアシスタントという要素を備えたこの構想は、まさに現代のSiriやタブレット端末を先取りするものでした。
その流れの中で登場した実製品が、1993年発売の Newton です。これは画面を電子ペン(スタイラス)で操作する携帯情報端末で、手書き文字認識など当時としては非常に先進的な技術を搭載していました。しかし、本体は大きく価格も高価で、手書き認識の精度にも課題があり、一般市場では広く普及するには至りませんでした。一部の熱心なユーザーには支持されたものの、商業的成功とは言い難い結果に終わります。
その後アップルに復帰したジョブズは、Newtonの思想そのものは評価しつつも、「普及の障害になっている」と判断し、Newton事業を終了させます。彼は特にスタイラスペンに否定的で、「理想は指で直接操作できること」だと考えていました。この思想は後に、iPhoneやiPadのマルチタッチ技術へと受け継がれていきます。

■ iPodの成功と指をマウスの代わりにするというアイデア
2000年代に入ると、ジョブズは音楽分野で大きな一手を打ちます。2001年に登場した iPod は、単なる携帯音楽プレーヤーではありませんでした。小型・大容量ストレージと洗練された操作性に加え、2003年に始まった iTunes Store によって、ユーザーはインターネット経由で楽曲を購入できるようになります。これはCD中心だった音楽流通の仕組みを大きく変える出来事でした。指先で操作するホイール型インターフェースも、直感的で革新的なものでした。

アップルは同時に、指で直接操作できる マルチタッチ技術 に注目していました。2005年には、ジェスチャー操作技術を持つ企業FingerWorksを買収。複数の指で拡大・縮小などを行う操作は、従来のボタンやホイールに代わる新しい入力方法として発展していきます。

ジョブズは、iPodの成功を土台に「音楽プレーヤー+電話+インターネット端末」を融合させた製品の構想を進めました。こうして極秘開発の末、2007年に発表されたのが iPhone です。電話、音楽、インターネット、メール、写真、地図などを一体化し、物理キーボードを排した全面タッチ操作のデザインは、それまでの携帯電話の常識を覆しました。シンプルで無駄を削ぎ落とした設計思想は、ジョブズの美意識を強く反映したものでした。
iPhoneは急速に支持を広げ、携帯電話市場の構造を一変させます。2008年にはGoogleのAndroidが登場し、同様のコンセプトを持つスマートフォンが世界中で普及。スマートフォンは、単なる電話を超え、現代のネット社会に不可欠な情報・通信端末へと進化しました。
ジョブズは初代iPhoneの発表で「アップルが電話を再発明する」と語りました。その言葉どおり、iPhoneは“電話機”の定義そのものを変えた製品だったのです。

■ 誰でも使える知の自転車の実現
ジョブズは、コンピューターを「知の自転車(Bicycle for the Mind)」だと語っていました。
自転車を使えば、人は徒歩よりはるかに遠くへ、速く移動できます。自転車が身体能力を拡張する道具であるように、コンピューターは人間の知的能力を拡張する道具である——それが彼の考えでした。

またアップル創業当初から掲げていた言葉に、
「The computer for the rest of us(専門家だけでなく、私たちみんなのためのコンピューター)」
があります。コンピューターは一部の技術者のものではなく、普通の人の力になるべきだという思想です。
その理想を最も広い形で実現したのがiPhoneでした。パソコンを使いこなせないと感じていた人々にとっても、iPhoneは自然に使える“自分のコンピューター”になったのです。
世界を変えた製品を生み出したスティーブ・ジョブズは、2011年、膵臓がんのため56歳という若さでこの世を去りました。あまりにも早い別れでしたが、彼が残した思想と道具は今も世界中の人々の手の中で生き続けています。
オバマ元大統領は、彼を次のように追悼しました。
「スティーブは、最も偉大なアメリカの革新者の一人でした。物事を違う視点で見る勇気、世界を変えられると信じる大胆さ、そしてそれを実現する才能を持った、稀有な人物でした。」
ジョブズが信じた「知の自転車」は、いまや世界中の人々のポケットの中で走り続けています。
■ アラン・ケイの夢が現実に
今や、ほとんどの人がスマートフォンを持ち、リビングのテレビの隣にタブレットが置かれている家庭も珍しくありません。かつてパソコンは難しいと感じていたおじいちゃんやおばあちゃんも、タブレットでニュースや新聞を読み、欲しい商品を見つければその場で注文できます。子どもたちはゲームで遊び、遠隔授業を受け、世界中の情報に触れています。手紙を書き、音楽を聴き、映画を観る——それらすべてが、手のひらの上で当たり前に行われています。
私たちはいま、アラン・ケイが約50年前にスケッチに描いた未来の中に生きているのです。
「未来を予測する最も確実な方法は、自分たちで未来を作ってしまうことだ。」
— アラン・ケイ
コンピューターは、もはや特別な機械ではありません。
人の知性を広げ、生活を支え、世界とつながるための“当たり前の道具”になりました。
そしてその未来は、誰かが夢を語ったからではなく、本気で信じ、実際に作った人たちがいたからこそ実現したのです。

■ まとめ
スマートフォンは、今や全世界で15億台以上も使われています。丸ビルほどの大きさがあった最初のコンピューター「ENIAC」が開発されてから、まだ100年も経たないうちに、ここまで進化したことは驚くべきことです。
しかし、この急速な発展の背景には、「インターネット」という技術の存在があります。
次回は、インターネットのお話をしたいと思います。

