▶ベトナム訪問記 ④ハロン湾クルーズ(高22期 加藤 麻貴子)
● 2022年7月18日(月)
朝7時にホテルロビーでPCR検査をした。コロナの陰性証明書が無ければ日本には帰国できない。翌日には検査結果がわかるとのこと、ベトナム行で一番の懸案事項だったが友人のフンさんの手配で簡単に済んだ。
20年以上前、近所のスーパーで「これは塩ですか」と若い女性に尋ねられた。日本人のようだが外国の人だろうと「塩です」と答え、レジのところで再び会った。「どこの国の方ですか?」と聞くと「ベトナムです」と言う。「シンチャオ!」と唯一知っている言葉で挨拶する。
すると彼女の顔がパッと輝いて「ベトナム語を話すのですか?」「シンチャオ(こんにちは)とカモン(ありがとう)だけです」そんなやり取りからフンさんご夫婦と近所付き合いが始まった。アメリカに留学していたというので最初の頃は英語で話していたが、彼女はどんどん日本語が上手になっていった。
あまりに良い人たちだったので、ベトナムの防大留学生を2010年から受け入れることとし、H君とT君の出会いに繋がった。フンさん夫婦は現在はベトナムに住んでいるが、この20年間来日の度に会っていた。ハノイに行くと伝えると、ぜひ一緒に旅行しようとなり、1泊2日のハロン(下龍)湾クルーズとなった。
9時ごろフンさん家族が迎えに来てくれた。幼かった子どもたちは高校生になっていた。ハロン湾までは既に高速道路が建設されていて、パーキングエリアは道路より下方にあるので風景が途切れることはない。11時にはハロン湾に到着。観光開発に特化した街づくりには目を見張るものがあった。
12時出航でサービスセンターから電気自動車で船舶に向かう。客は三分の一が外国人であとは国内の客。コロナのお陰で乗船料が一般のベトナムの人にも手が届くようになったそうだ。クルーは流暢な英語とベトナム語で案内する。
パールファームに行ったがそこでも大音響で音楽がなっている、そして店員さんは売る気がない。Titov 島に上陸、狭い砂浜で泳いだ人たちは大体がクラゲに刺され赤く腫れあがり痛がっていた。この浜でフンさんはスマホで私たちの朝のPCR検査の結果を調べてくれ、二人とも陰性で安心した。日本でもこんな風に簡単に検査できたのだろうか?
船に戻りベトナム風洋食のフルコースの夕食後、デッキで夕陽を見ながらお喋りをする。年長の息子のホアンは空手とバスケと折り紙が得意で日本語も話す。小学3年生くらいまで日本で過ごした彼は日本のアニメを読み始めたら忘れたはずの日本語がポロポロ出てくるようになったそうだ。
日本に留学希望だったがコロナで叶わず、今は奨学金をいくつか貰いアメリカの大学で学んでいる。弟のミンは音楽好きで空手とピアノが得意、兄よりも良い学校に通っており日本語はあまり話せないがフランス語を話すと兄のホアンが自慢げに話してくれた。二人とも料理や洗濯など家事もひと通りこなす頼もしい若者である。
● 7月19日(火)
早朝、ハロン湾の空気は重い、空気の粒子一粒一粒が水で満たされているようだ。かと言って雨でも霧でも靄でもない。そんな空気に包まれながらフンさんとカフェをしながら互いの家族、親の介護、趣味や健康のことなど心ゆくまで語り合った。どの国の女性も関心事はさして変わりない。忘れられないひと時を過ごした。
下船前にハロン湾で一番大きな鍾乳洞Sung Sot caveを見学した。年を経た鍾乳洞だが美しかった。
ハノイに戻り、ベトナム中部のフエ料理の「Bun Bo Hue o Xuan」という食堂で麺料理や春巻きを食し、とても美味しかった。フンさんは日本企業に勤めており、日本からの上司を迎えると必ず其処に連れて行くそうだ。普通の町食堂のようであるが頗る美味しい。
午後2時半頃にホテルにもどった。夕刻T君とH君夫妻とH君の妹と南部料理のレストランで食事をした。エビとおこげ、海鮮鍋など幾分中国風の料理で若者5人と賑やかな夕食だった。これで北部、中部、南部のベトナム料理をハノイにいながら食したことになる。
● 7月20日(水)
早朝まだ暗いうちにフンさん夫妻が迎えに来てくれ空港まで送ってくれた。ベトナムの朝は早い、町はすでに動き始めている。
カモニュウ、ヘンガップライ! ありがとう、また会いましょう!(おわり)