▶ 真夏の訪問者とブンチャ(高22期 加藤 麻貴子)

 8月半ばベトナムの留学生S君とYさんご夫婦とYさんの御両親が遊びにいらした。S君は日本に留学中、Yさんはアラブ首長国連邦(UAE)で働いている。S君はもう28歳、日本に来てかれこれ10年になる。Yさんとは8年くらいのお付き合い、結婚した方が双方の行き来に都合が良いということでこの春に「結婚の登録」を済ませた。この表現は何ともベトナムらしいと思う。

 YさんはUAEのベトナム大使館で働いている。学生時代には恋は二の次、S君と殆どコンタクトも取らずにアラビア語を猛勉強、朝起きぬけに勉強、食事を摂って学校へ行き勉強、帰宅して深夜まで勉強、要するに食事の時以外は勉強していたそうだ。それでアラビア語の検定試験を受けたら彼女の先生よりも成績が良くなっていたそうだ。なぜアラビア語かと言えば、仲良くなったイスラム圏の人がとても善い人だったので学びたくなったそう。大使館では彼女のアラビア語が一番、要人がUAEに来るときには朝から晩まで大忙しになりS君との連絡も儘ならないそう。Yさんが勉強三昧の日々の間、S君は振られたと思い意気消沈して過ごしていたけれど、ベトナムで再会を果たした時の喜びようはなかった。
 
 Yさんは英語も堪能で、良く教育された英語なのでとても分かりやすい。何故堪能か?政策と教育の恩恵があったようだ。ベトナムではある時期、特区の自治体にどのように使っても良いという予算が振り分けられた。彼女の自治体はそれを外国語教育に向け、ネイティブの教師を雇い英語教育に力を入れた。その結果、英語に堪能な彼女が生まれた。

 S君は帰国していたベトナムから、Yさん達はUAE(アラブ首長国連邦)から8月初めに来日、羽田で落ち合い空港の近くの一軒家を借りて民泊して半月ほど日本観光を楽しんだ。日本はベトナムより暑く、摂氏50度のUAEより涼しいそうだがYさんは上野を観光していて熱中症になってしまった。それほどこの夏の日本は酷暑だった。
 また南海トラフの地震騒ぎを聞いたYさんのお父さんは「こんな怖い所には居られない. 帰ろう」と到着した早々スーツケースに荷物を詰めだし「帰ろう」と言い出すほどだった。

 さて、夕方やってきたにも関わらずベトナム料理のブンチャをご馳走してくれるという。Yさんは段取り良くテキパキと作り始めた。春雨のブンを茹で、揚げ春巻きを作る。大皿にブンと揚げ春巻きを盛り、付け合わせにレタスや生のもやし、皮を剥き斜め切りにしたキュウリを添える。ニンニク片、飾り切りにした人参とキュウリを浮かべたニョクマムとレモン汁入りの甘酸っぱいスープで頂く。ニョクマムは魚醤のことでタイのナンプラーと良く似た調味料で独特の香りがしてベトナムを醸し出している。

 久しぶりに料理も人も賑やかな楽しい夕餉となった。
「ヘンガップライタイUAE(UAEで会いましょう」とハグと握手で別れを惜しんだ。

    ▶ 真夏の訪問者とブンチャ(高22期 加藤 麻貴子)” に対して1件のコメントがあります。

    1. 和田良平 より:

      なかなか楽しいですね。海外の方との交流は、言葉の問題がなければ大変楽しいですね。
      私は中国で仕事をしていたときに、工業団地の総経理の方と仲良くなりましたが、双方とも言葉の壁があり、通訳を介しての会話だけでしたよ。普通語しか話さないので、私も片言ぐらいと勉強しましたが、短い時間で仕事がある中では上達するわけがなく、通訳がいるのでそれを良いことに結局ものになりませんでした。ただ、日本に帰ってからも半年に1回ぐらい携帯に電話がかかってきました。普通語でまくし立てられるのですが、意味がわからない。しかし、じっくりと聞くと今度はいつ来るのか?という意味だろうと察しました。
      しばらくして60歳で会社を退いて、それから仲間と打ち合わせて、中国観光旅行に行きました。私が滞在していたときから気になっていた「都江堰」という所です。
      これは四川省の成都から山に入ったところにある2000年前の水利工事の施設です。ここを見た後、成都から深圳に飛び、以前の勤務していた町を訪問し、その彼と再会を果たしました。しかし、言葉の問題が・・・・と思っていたら、その人がちゃんと通訳を用意していました。これには感激しました。
      今日テレビを見ていたら、今の日本人はパスポートを持っているのは17%ぐらいだそうです。米国人は50%、韓国や台湾はそれ以上持っているとか。若者が海外に出て行かないなんて、日本の将来が思いやられます。

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