▶母はパパだった!(高22期 加藤 麻貴子)

 言葉は常に変化する。表記も表音も安易な方へと変化する。とは言っても古代の文書を読んでも私たちは日本語と認識できるし、意味も分かるだろう。では、音声ではどうであろうか。私は長い間五十音の並びに疑問があった。「あいうえお」は母音であるから最初にあるのは納得できる。「かきくけこ」は口腔の一番奥で出すk音に始まり、子音は徐々に口腔の前方での摩擦音となっていく。「さしすせそ」のs音は口腔の真ん中あたりで舌先の隙間から息を抜く音である。「たちつてと」「なにぬねの」は唇に近いところで舌先を上あごに押し付けて勢いよく離すのがt音で優しくゆっくり離すのがn音である。ここまでで子音は口腔の奥から前方で発せられるようになった。次はもっと先端での摩擦音となると思うが、次の行はh音の「はひふへほ」で再び口腔の一番奥から発する無声音となり、次に両唇を合わせる最先端の音「まみむめも」となる。これはどう考えても合理的ではない。

 そうしたところ中央公論新社発刊の「日本語の発音はどう変わってきたか」という本にであった。名古屋大学の釘貫亨教授の音声史の本である。

以下はハ行の音声の変遷についての要約である。

 日本語の発音が再現できる最古の時代が八世紀の奈良時代である。万葉仮名の漢字から音を推定できる。ハ行の表示に使われた万葉仮名の漢字の中国中古音はいずれも子音pやbの様な両唇破裂音であった。実はハ行音は「ぱpaぴpiぷpuぺpeぽpo」に近かった。古代日本語にはh音は存在しなかった

 五十音の音図の元になる五音はインド製である。五音を最初に持ち込んだ円仁は唐においてインド人僧の宝月三蔵から口伝を受けて梵音を詳細に書き留めて持ち帰ったと「在唐記」に記してある。円仁は宝月三蔵の発する古代インド語(サンスクリット)音声である梵音「a i u e o ka sa ta na pa ma ya ra wa」(梵字)をインド由来の順に並べて発音の仕方を日本の万葉仮名の発音と対照して記述している。ここではhaではなくpaとなっている。梵音万葉仮名で使われた漢字は次の漢字であり、どれも中国語音では濁音なのである。現代でもバン、パン、ピツ、ピ、ブ、プ、ペン、ポン、ポの有声音として存在する。

播半芳方、比卑必非、布不富、辺平部、本保宝

 そして平安時代はじめにbp音から破裂性がやや退化してfの音に近い「ファ・フィ」のような音になった。1516年の「後奈良院御撰何曽」というなぞなぞの本に「母には二たびあひたれども父には一度もあはず、これは何だ?」という謎かけがあり、答えは「唇」である。母はfafa、父はtitiまたはtsitsiで母は唇を2度噛み、父は一度も唇を合わせずに発音するので正解は「唇」である。*『日葡辞書』に母はFafaまたはfauaと標目されている。従って羽柴秀吉はファジバフィデヨシであった可能性がある。

 そして江戸時代の1695年に真言僧であり国語学者の契沖は「和字正鑑抄」を編み日本語の音声を「在唐記」の梵音の順序の五十音で体系化する。真言僧の契沖はインド的五音と五十音の図に通じており、古代日本語音声の過不足ない配当図、すなわち五十音図に位置づけて仮名遣いを説明したのである。それが現代の五十音図に継承されているのである。
そこではハ行は「ha, hi, hu, he, ho」と現代と同じ音となっている。
 
以上ざっくりとしたハ行の音声史の要約である。

fafaのようにf音が日本語の中に残っていたなら英語の発音に日本人は苦労しなかったかもしれない、と思いながら暑い夏が過ぎていった。

*『日葡辞書』とは1603年から04年にかけてイエズス会から発刊され、宣教師たちが当時の人々の口元を観察して書き留めた日本語とポルトガル語の辞書である。

    ▶母はパパだった!(高22期 加藤 麻貴子)” に対して2件のコメントがあります。

    1. 高22期 伴野 明 より:

      題名に釣られて、面白い話かな? と読んでみたら、真面目な話でした。でも「ファジバフィデヨシ」には笑えました。そこまで昔でなくとも、明治時代あたりでも現代とかなり違うんではないか? と思えます。何かありましたら、お教えください。

    2. 松原隆文 より:

      文字のない先史時代にはどのような言葉を発していたのかについても興味が湧いてくる様な素敵な話ですね。

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