▶親と子の工作教室(高22期 加藤 麻貴子)

 私の住んでいる浦賀では社会福祉協議会の児童福祉部会で親と子の工作教室を毎年開催しています。今年も10月20日にコミュニティセンターの体育館で行われました。コロナ禍で中断した年もありましたが今年で10回目です。横須賀三浦建設人材育成支援センターの大工さんたちが全面的に協力してくれています。私は昨年からお手伝いしています。

 大工さんたちが事前にキットを作成し、道具を用意し、体育館にベニヤ板を張り万全に準備をしてくれ、高さ50㎝ほどのミニ3段飾り棚、椅子、長椅子、銅板の表札を制作しました。参加者は浦賀地域の家族54組です。昨年も参加した家族も数組おり両親と子どもたち、母子、父子での参加です。まずはナイフで鉛筆を削ることから始め、曲尺で木材に線を引き鋸で切り、金づちで釘を打ちます。最初は慣れない手つきですが次第にコツを覚えて上手に道具を使えるようになっていきます。13人の大工さん達は制作過程を見守り適宜にアドヴァイスや助け舟を出してくれるので参加者たちは安心して制作に集中できます。私たちスタッフも見回りながら手伝いもします。

 9時半から11時半までケガする人もなく制作に取り組み全家族が完成までこぎつけました。なかには親御さんのほうが夢中になり子どもそっちのけで没頭する人や早く完成させ2作目にトライする家族もいました。完成させ親子で達成感を味わっている姿は大変微笑ましいものでした。参加者の感想は概ね、「難しかったけれど楽しかった」「もの一つ作るのも工夫が要り大変だと分かった」「また来年も参加したい」等でした。大工さんたちは「子どもたちと制作するのはとても楽しい」「参加者の意見を参考にまた来年の制作を考えたい」などとても好意的でした。

 少子化、人口減少などで予算が狭まる中、スタッフたちは毎年好評なこの企画が来年も出来るように願ったのでした。

    ▶親と子の工作教室(高22期 加藤 麻貴子)” に対して6件のコメントがあります。

    1. 高橋克己 より:

      何と素晴らしい企画でしょう。参加した子供たちが先々父になり母になった暁に、日曜大工に精を出す姿が想像できます。
      子供の頃、母が200cmx40cmx3cmほどのラワン材とコンクリブロックを何個か買い込んで、食堂にベンチを作ったのを思い出します。
      私も、父の大工道具箱から「のこぎり」や「カンナ」を持ち出して、崖を滑る橇や鳩小屋など作ったものでした。今も父が仕事場(ベース)から持ち出した「ラジオペンチ」と「やすりセット」は私の愛用です。

    2. 高22期 伴野 明 より:

      鳩小屋と聞くと、克己さんと同い年だなあ、と感じます。あのころは伝書鳩ブームで同級生がこぞって鳩小屋を作っていました。私は中一の時、八百屋のリンゴ箱に網をかけて最初の鳩小屋をつくりました。それは中三の時までに四段階進化して、一坪の人が立てる大きさの小屋になりました。
      『手作業での物作り』、それは今この時代、一番必要な経験だと思います。

    3. 加藤麻貴子 より:

      コメントありがとうございます。鳩小屋を作ったのですね。参加者の手つきを見ていて、お父さん達も大工道具を使い慣れていないなとも思いました。大工道具がある家庭も少ないのかもしれません。でもこれを機に木工ができるようになると良いですね。

      1. 高橋克己 より:

        私の鳩小屋は、家の羽目板の地上120cm辺りに縦横各70~80cm、奥行30cmほどのを棒と板と金網で作ったのです。が、ほんの数ヵ月で挫折しました。鳩が戻るために針金ハンガーで自作した、内側にだけ動く格子から野良猫が入って番の2羽を殺めたのです。鳩の師匠だった近所の友人と学校から帰ると、ちょうど猫が小屋から飛び出すところでした。意気地のない私は鳩の死骸に触ることが出来ず、師匠が庭の隅に埋めてくれました。鳩小屋は壊してしまい、鳩ともそれ切りです。

    4. 高22期 伴野 明 より:

      物作りについてもう少しコメントをさせて頂きます。私は正に『物作り』が生業の人間です。
      今はコンピュータ制御の機械で製品を作っていますが、何も設備を持っていなかった頃は本当に手作業で何でも作っていました。そのノウハウは最新の機械の操作でも応用できます。
      逆にウチの従業員でいた人、その人は40代ですが機械系の大卒で始めからコンピュータで物作りを始めたのでかなり何でもできる優秀な人材でした。ところがある日、自分が忙しく、コンピュータ機械を使うまでも無い簡単な構造物を「簡単だから、ちょっと手作業でやっといて」と頼んで帰ったのですが、翌日見ると何も出来ていませんでした。彼に聞くと「どこからどう作るか皆目見当がつきません」とのことでした。製造パターンのない物は作れないのです。
      どうもある年代でコンピュータを使える人、使えない人(年配で手作業では素晴らしい)が別れてしまったようです。
      実話ですが、自分がまだ機械を所有できず外注に出していた頃の話です。
      そこの社長は手動の機械で何でも作ってしまう天才でした。ある日、「うちも近代化しないと置いてかれる」とコンピュータ制御の機械を導入したのです。
      「どうもオレにはプログラムは向かん」と会社の筆頭従業員をその機械の研修に2ヶ月行かせたのです。その人が帰ってきて「よし、これで万全だ」と意気込んだ僅か1ヶ月後、その従業員が心臓病の発作で突然他界してしまいました。
      社長のガッカリぶりは可愛そうでした。結局半年後、機械は親会社に買い取って貰って、その会社は1年後廃業しました。
      ハイテクなものとローテクなもの、その両方がないと日本の製造業は万全ではありません。

    5. 加藤麻貴子 より:

      私が子どもの頃、父は中学校の教師でしたが日曜大工を良くしていました。かなり大きな倉庫を建てたり古い台所をリノベイトしていました。素人にしてはなかなかの出来だったと思うのですが2足の草鞋ですので出来上がりが遅いのが難点でした。兄が3人いますが、長兄はラジオなど電気のものを作るのが得意、次兄は中年過ぎにモノづくりに目覚め友人に頼まれると工夫して注文に見合うものをつくるのが生きがい、三番目の兄は子供の頃木材から作る模型作りに夢中で大学も建築家に進み、大工になりました。みなローテクですがモノづくりが好きです。さて私は洋裁も含め物を作るのはは苦手、夏休みの宿題の工作は兄に作ってもらっていました。

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