▶「YRP無線歴史展示室一般公開デー」に行ってきました(高17期 和田良平)

通常は、団体で予約が必要だけど、この日だけは個人で予約も不要という話に釣られて行きました。場所は京急の「YRP野比駅」からバスです。私の車は、この週は整備工場の予定でしたが、意外に早く戻ってきたので車で行きました。
時間前について場所を探しましたが、あまり表示がなく、入り口の裏側で従業員の方に聞いてわかりました。ちょうど13:30に入り口に付いたら、隣のレストランからぞろぞろと人が出てきました。時間待ちをしていたようです。
墓所は、YRPセンター1番館の1階です。公開場所はそれほど広くはなく、ちょっとした宴会場のような大きさでした。

無線が好きな私ですが、横須賀がこんなに無線の歴史に結びついていたとは知りませんでした。1854年再来日したペリーは、献上品を持参して、その中に2台の通信機がありました。この通信機を使って横浜近郊で実験をしたそうです。ビックリしたでしょうね。

1895年には、英国でマルコニーが無線通信の実験に成功します。このとき英国に滞在していた日本人の海軍関係者は、購入しようとしましたが、軍艦1隻分にもなる価格を提示され買えませんでした。

この後日本は自力で開発を決意する。1899年、マルコニーはドーバー海峡越え(50km)で無線通信を成功させます。それを知り、1900年には津田沼と横須賀大津との間(54km)の実験に取り組み成功させます。

しかし1902年、マルコニーは大西洋横断(3.500km)の通信に成功させます。日本の技術力は、まだ到達していませんでした。そこで開発体制を横須賀に設置します。こうして横須賀は無線通信の重要な場所になっていくわけです。
船越にある「東芝ライラック」は、昔の海軍の跡地で、真空管を作っていました。その後トランジスタの製造も。会場は狭かったですが、人は多かったです。

なかなか面白かった展示でした。