▶横高野球部4回戦進出(高22期 高橋揚一)2025年7月18日

7月9日海老名高校に8対7、11日幸高校に20対0、15日白山高校に12対5で勝って、18日の4戦目はシード校藤嶺藤沢戦。藤沢市八部球場で9時に試合開始。

初回表にホームランを打たれて幸先危ういと思いきや、3回裏に連続ヒットで3点奪回。4回裏で3対1のまま。日陰のまったくない球場でかなり暑いのでこのままコールドゲームだったら良かったのに。
5回表に3点取られて3対4に。6回表にも3点取られたが、6回裏に相手エラーと盗塁で5対7となり、次いで見事な2ランホームラン。今大会40号ホームランを横高が奪って7対7の同点。

7回、8回は両校得点なしで9回表。横高はピッチャー交代。5点も取られてしまった。9回裏での奇跡は起こらず、7対12で試合終了。

勝ったら20日に横浜球場で横浜高校とだったのに、残念。でも、これまで初戦敗退が多かった横高野球部が4回戦まで進出できたのは、あっぱれ。良く頑張った。応援団も暑い中ご苦労さま。爽やかなひとときに感謝。


休憩中に仕上がったばかりの歌の入った「坂東武者」と「勝利を目指し」をノートパソコンから流したら、周囲の生徒たちが歌ってくれました。

10月開催予定の22期全クラス同窓会まで限定の予定でしたが、皆さん聴いてくれると言うので本日の試合の風景を加えてYouTubeに一般公開しました。

▶神奈川県立横須賀高等学校校歌「天がける白雲」歌唱バージョン


▶神奈川県立横須賀高等学校校歌「坂東武者」歌唱バージョン


▶神奈川県立横須賀高等学校応援歌「勝利を目指し」歌唱バージョン


▶神奈川県立横須賀高等学校追悼歌「春の日の花と輝く」歌唱バージョン


●おまけ(高25期 廣瀬隆夫)
7月19日の神奈川新聞に横須賀高校の記事が大きく出ていました。最後まであきらめずに果敢に戦った横高の野球部員を絶賛していました。負けた試合の記事が出るというのは珍しいですね。
https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/wp-content/uploads/2025/07/Scan2025-07-19_091931.pdf

▶横高野球部4回戦進出(高22期 高橋揚一)2025年7月18日” に対して3件のコメントがあります。

  1. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

    神奈川新聞のおまけを有難うございます。
    対戦相手の藤嶺藤沢は、横浜球場で横浜高校に負けてしまいました。
    藤嶺藤沢は次男の母校でもあったので、横浜高校に勝って決勝に進んでほしかったのに。
    一方のブロックでは東海大相模が強そうですが、長男の母校の桐光学園も残っているので、藤嶺藤沢と桐光学園の決勝が見たかったです。
    横浜高校と桐光学園との決勝だったら横浜高校は松坂の時代以来ですが、その時は松坂は一度も出場せずに横浜高校が勝ってしまいました。
    悔しいけど横浜高校には春夏制覇を期待することにします。

  2. 石原進 より:

    横校野球部のOBとして4回戦進出の「快挙」の後輩の皆さんに大きなエールを贈ります。
    私は中学時代も野球部でしたので、高校でも迷わず野球部に入りました。
    当時は部員不足のため、1年の時からショートでレギュラーでした。
    夏の県大会は開会式直後の試合。横浜球場はお客さんも多く、中学時代には考えられなかった「晴れ舞台」に平常心ではいられませんでした。生まれて初めて味わう緊張感。試合前のノックでは手足が動かず、エラーを連発してしました。
    対戦相手は練習試合もしたことがあった逗子高で、接戦の末、結局1点差で負けましたが、私は2度のツーアウト満塁の好機にいずれも内角高めのボール球を空振り三振。応援に来てくれた担任の大西先生から「お前がバットを振らなければ勝っていた」と言われました。負けたその試合のことがいまも忘れられません。
    後輩の皆さんにとっても、その敗戦は、一生忘れられない思い出となるでしょう。
    私はその後、毎日新聞記者として高校野球の記事を何度か書いたことがあります。
    県大会だけでなく、センバツ大会の甲子園でも取材をしました。
    神奈川新聞には「横校の善戦」をたたえる記事が掲載されましたが、私も球児時代の敗戦を思い出しながら、負けたチームをたたえる記事を書いた記憶があります。

    1. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      コメント有難うございます。
      石原進君は卒業直前まで野球部キャプテンを務めて現役で慶應義塾大学文学部に進学されました。卒業後は新聞記者として全国を飛び回って充実した現役生活を送られました。勝敗は別として、若き日の善戦は生涯の宝となっていくのだろうと思います。
      私は水泳部で、秋と冬は野球部との合同トレーニングも行いましたが、泳ぐことしか興味がなかったためサボってばかりで翌年の春は体力が低下してしまいました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です