▶フルトヴェングラーの名演二題(高22期 松原 隆文)

12月に入り、仕事が終わった5時、毎日この指揮者の演奏を聴いている。それも決まって、魔弾の射手序曲とフィンガルの洞窟だ。これを日替わりで聴く。どちらも10分そこそこなのでちょうど良い加減だ。ちょっとだけ述べてみたい。
まずは魔弾の射手序曲から
このオペラは30年戦争終了後のベーメンが舞台だという設定だ。しかしこの曲想から、もっと以前のハインリヒ捕鳥王が活躍した10世紀頃の鬱蒼とした森林(黒林)を連想させるのは私だけであろうか? 都合3種の録音を持っており、一枚は戦前録音、もう一枚は戦後のスタジオ録音、もう一枚はこれも戦後のしかも全曲盤だ。どれも素晴らしいが、敢えて言えば全曲盤だ!何しろ全編ゆらゆらモヤモヤして霧がかかったような雰囲気があらゆる想像力をかき立てて、堪らない。こんな演奏は今後出てこないのではないか。
次にフィンガルの洞窟
この曲は、若きメンデルスゾーンがスコットランドの同地を旅行したときの感激を音楽にしたものだ。この洞窟の巨大な奇岩、光はあくまで薄く、水平線の彼方にキラっと船が見え、大きな波が打ち寄せる。そんな情景を見事に音楽にしたものだ。この曲を演奏するフルトヴェングラーはもはや神ががり的に素晴らしい。そして最後は得意の怒濤のフォルテシモを連発して終わる。この録音も3種持っている。一枚は戦前のベルリンフィル、もう一枚は戦後のウイーンフルとの共演でライブとスタジオ録音盤だ。ライブ盤は録音のせいかティンパニの音が大きすぎてやや耳障りだ。スタジオ録音盤が良い。 私事だが、父親がこの曲を大好きで、若い頃にベルリンフィルのレコードを聴いていたという。父は戦前盤が最高だといっていた。
最後にフルトヴェングラーの演奏について一言だけ述べたい。
なぜ彼の演奏が素晴らしく聞こえるのか。長年分からなかったし、わかる必要も無かった。ただ彼の演奏は常にゆらゆらしていて、一糸乱れぬ演奏というものでは全くない。そこが生々しく人間くさく個性的なのではないか?などと感じていた。最近(と言うより大分前)分かったことだが、彼は意図的にオーケストラの音が揃わないようにしていたらしい。この不揃いがたまらなく良いのかもしれない。バイロイトの第九の最後などその最たるものだ。彼は気難しいで有名だったし、オーケストラにかなりの困難を要求していたようだ。楽団員の回想によると「皆が友情で結ばれていたなどということは絶対無く、辛くて逃げ出したくてしょうがなかったが、演奏後の聴衆の拍手があまりにも大きいのでそれが嬉しくて耐えていた」という。
そのお陰で今日膨大な録音を聴くことが出来る。当分の夕方、この二曲の鑑賞が続く。

