▶浦賀の町屋に響く義太夫三味線(高22期 加藤 麻貴子)

2月11日冷たい雨降る中、「和の世界」に浸ってきました。

東浦賀の町家のみそ工房幸保六兵衛にて行われた義太夫三味線の会に参会したのです。演ずるは鶴澤津賀花、琴・地歌三味線は町家の当主の幸保節子、演目は「寿式三番叟」、「万歳」、「壷坂観音霊験記」、「小写朝顔話」そして休憩をはさんで「メリヤス組曲」、「本朝廿四孝」、「奥庭狐火」とつらつらと題目を書いては見たものの私にはさっぱり内容は分かりませんでした。この工房の味噌の味と店の佇まい、ご当主(女性)の所作の美しさに心惹かれるものがあり参会したのでした。

この家の1階は土間(店)と六畳二間、そこで手作りの甘酒を頂き、梯子のような急こう配の階段を上ると直ぐに十畳と六畳の二間続き、そこで義太夫は演奏されました。太棹の三味線のリズミカルで力強い音色と熱のこもった語りに引き込まれました。後半のメリヤス組曲にはご当主も琴を披露、和室での義太夫、和服姿もちらほら、まるで大正時代の芝居小屋のような空間でした。昭和半ばくらいまで市内には横須賀座や高倉亭などの小劇場や寄席などが多くあり、落語や公団や義太夫の興行も行われていたそうです。浦賀にもかつて芝居小屋があり現在その跡地には浦賀文化センターが建てられています。

鶴澤氏は福井市出身、武蔵野音楽大学を卒業、結婚後に横須賀に住み義太夫節や三味線を修め精進して、今では市内小中学校で「義太夫節体験授業」を行っています。

ご当主の幸保節子さんは2年ほど前にこの町家を親族から相続、荒れていた家を修復してみそ工房を始めたのでした。初代幸保六兵衛は1730年頃に干鰯(ほしか)問屋株仲間に参入、明治以降は米穀商を営んでおりました。1923年の関東大震災で母屋は倒壊、1915年建築の米蔵に大切な家財を投げいれ焼失を免れたそうです。典型的な商家の造りの母屋は1925年に再建100年前の佇まいのままです。

旧い町家から文化の発信というご当主の心意気にいたく感動いたしました。

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