▶大町釈迦堂口遺跡 暫定公開に行ってきました(高17期 和田 良平)

鎌倉市でこのほど暫定公開していた「大町釈迦堂口遺跡」に行きました。釈迦堂口は、大町の谷戸の奥の方にある遺跡で、近くには釈迦堂切り通しがあります。今にも崩れそうな所ですが、数十年前は、自由に通行が出来ていたので、杉本寺方面に行くときは、抜け道として何度も利用したことがあります。車で通りました。しかし、その後崩落があり、車は通行止め。東日本大震災後は、完全に通行止めになっておりました。

釈迦堂口付近には多数のやぐらがあります。やぐらというのは、鎌倉時代の墓のことです。断崖をくりぬいて穴を開けてあります。このあたりは、以前は鎌倉時代の初代執権北条時政の屋敷があった跡だと言われてきました。しかし、近年の発掘では時政の時代ではなく、もう少し時代が下がった鎌倉時代の後期から室町時代だろうと言われているそうです。

<上空からの写真 釈迦堂口 グーグルアース>

かなり谷戸の奥に入ったところです。まだ着かないかと思っていると、やっと着きます。登り道もあるので、足が弱い方は一寸苦しいです。手前に平場2があり、その横を通って坂を登ると、平場1があります。平場というのは、文字通り平らな場所で、建物があったのだろうと思われます。戦後は、国際興業という会社が保養所として使っていたらしく、その時直した奥にある階段や尾根にある東屋・橋などが崩れかけながら残っている。国際興業は、ロッキード事件で有名になった小佐野賢治が興した会社で、没落と共に不動産会社に渡り、開発しようとしていたときに、反対運動が起きて、残ったという歴史がある。

次の写真は、唐糸やぐらと呼ばれ、鎌倉時代に木曽義仲の家人の娘が2年間石牢として幽閉されていたそうな。こんな狭いところに2年間もと考えると、なかなか理解は出来ません。このやぐらのすぐそばの崖の上に、保養所時代に作られた橋が見えます。橋を真下から見ると、本当に崩れています。

さらに先に進むと、「日月やぐら」というのが見られました。このあたりは釈迦堂切り通しの上に当たります。戦時中の高射砲台の跡の様なものがありましたが、残念ながら表示は全くありませんでした。

全く通せんぼで、通れませんが、近いうちに鎌倉市で予算を付けて通れるようにするという話を聞きました。帰りは、同じ道を帰るのでは能がないので、近くの谷戸から車1台がやっと通れるトンネルがあり、そこを抜けると小町3丁目に行けます。その道を通って鎌倉駅まで戻りました。14,000歩ほど歩きました。

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