▶天才ニコラ・テスラ ~2~(高22期 加藤 麻貴子)

ニコラ・テスラ(1856-1943)とトーマス・アルバ・エジソン(1847-1931)

現在私たちは電気で動く世界に生きています。この電気の世界をもたらした同時代の二人の科学者テスラとエジソン葛藤と戦いの話です。

テスラは1881年1月、ブダペスト国立電信局に就職し、そこで交流電流(AC)の新方式の開発に着手しました。1882年、パリで大陸エジソン社の技師として働き始め、その後ストラスブールに転勤となりました。その間個人でモーターの研究を続け、工学と物理学の先進的知識を活かし、発電用ダイナモとモーターの改良版を設計・製作しました。

1884年、設計図とアイデアだけを携え、ほぼ無一文で渡米してエジソン機械工場に入社しました。テスラがエジソン機械工場に勤務していた当初、マネージャーのバチェラーは「24種類の標準機械の再設計」に対し5万ドルのボーナスを払うと言いました。テスラが再設計を完成させエジソンにボーナスを要求すると、エジソンは「テスラ、君は我々のアメリカン・ユーモアを理解していない」と言いボーナスを支払いませんでした。そしてテスラは交流の優位性を主張したことでエジソンとは決別、エジソン社を辞めてしまいました。

1887年4月、テスラ電気製造会社を設立。画期的な論文「交流電動機と変圧器の新システム」を執筆、発電機、モーター、変圧器、など交流電流による電力供給の仕組みを改良し、1888年5月16日、アメリカ電気工学者協会でその成果を発表しました。すると、ウェスティングハウス電気製造会社が彼の天才性を認め、特許と研究開発資金に関する有利な契約を結び、彼自身の研究所を設立することができました。

そして遂にトーマス・エジソンの直流(DC)陣営とニコラ・テスラの交流(AC)陣営の間で電流戦争が始まったのです。直流と交流の違いは以下の通りです。

         直流(DC)            交流(AC)
電流の方向一定の方向に流れる。周期的に流れの方向を変える。
電圧の変換電圧は簡単に変換できない変圧器を使えば、電圧を簡単に上げたり下げたりすることができる
効率距離とともに電力が大幅に低下するため、消費者の近くに発電所を設置する必要がある。高電圧で長距離送電を行っても電力損失が少なく、非常に効率的である
電線低い電圧でより多くの電流が必要となるため、太く高価なケーブルが必要となる。高電圧送電で低電流を可能にし、細いケーブルで済むため、長距離送電が可能となり、送電コストを削減できる。

直流支持者のエジソンは、交流の高電圧の危険性を強調するネガティブキャンペーンを展開しました。彼は、野良犬やその他の動物を交流電流で感電死させる公開実験を行ったり、死刑執行の電気椅子に交流電源を使用させたりすることで、交流のイメージを傷つけようとしたのです。対するテスラは100万ボルトの交流電流を自身の体に通すなど安全性をアピールしました。この泥沼の戦いは「電流戦争」として数年にわたって続きました。

遂に、交流システムの長距離送電能力と効率性において優位だったテスラの交流陣営が勝利を収めました。テスラは最大100万ボルトを出力可能な高圧変圧器を発明しテスラコイルによる高圧送電の特許を取得したのでした。1893年、エジソンの提案を大幅に下回るコストでテスラの交流システムを用いたシカゴ万国博覧会の照明の契約をウェスティングハウス社は獲得し、交流の優位性を示すことに成功しました。またナイアガラ滝発電所(1896年)では世界初の大規模水力発電プロジェクトでテスラの多相交流システムが導入され、交流の世界的な普及が確固たるものとなりました。この「電流戦争」の結果、現代の世界の電力網の大半はテスラとウェスティングハウスが確立した交流送電システムに基づいています。

現在、家にある家電の殆どが「AC100V」のコンセントに差すことで動きます。ACは交流の意味です。発電所で発電された電気は「交流」により各家庭へと届けられています。一方スマートフォンやパソコンやLED照明は「直流」で動作しています。つまり、家電製品の多くが交流電源を内部で直流電源に変換して動作しているのです。世界は交流と直流のハイブリッド電力システムへと移行しつつあるのが現状です。

熾烈な電流戦争がありましたがテスラとエジソンの発明は仲良く今の私たちの電気生活に役立っています。

▶天才ニコラ・テスラ ~2~(高22期 加藤 麻貴子)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 廣瀬隆夫 より:

    テスラが考えた交流がなかったら、今の電気を中心とした現代文明はなかったかもしれませんね。

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