▶記恩ヶ丘ホームページ誕生のお話
記恩ヶ丘ホームページは、みなさんのご協力により、毎日、200人近くの同窓生が訪れるWebサイトになりましたが、このホームページが出来るまでの経緯についてお話したいと思います。(高25期 廣瀬隆夫)
今から20年以上前、インターネットが今のように普及していない時代に、朋友会では、他校に先駆けてホームページを立ち上げようという機運が高まりました。(現在の朋友会のホームページと区別するために、以下、最初に作られた朋友会のホームページは、同窓会ホームページと呼ぶこととします)
2000(平成12)年 7月 にホームページ開設準備委員会による事前調査が進められ、翌年7月 6日にホームページ委員会が発足しました。初代ホームページ委員長に高9期の里見さんが就任して、2001年の9月1日に同窓会ホームページが開設されました。
当時のホームページ委員会のメンバーにはプログラミングの専門家はいなく、少ない文献を読みながら手探りでホームページを作成しました。開設当初は、試行錯誤の繰り返しで、立ち上げるのには大変な努力が必要でした。パソコンが普及していなかったので紙に書かれた記事を、事務局が一旦受け取って、委員会のメンバーが文字を打ち込んでホームページに掲載するというサービスも行っていました。
当時は、ホームページを持っている同窓会は少なく先進的な試みでした。朋友会は、若い人たちに同窓会に興味を持ってもらうための重要なツールとしてホームページを位置付けていました。その後、委員長が小野関さん、杉原さん、和田さんへと引き継がれて同窓会ホームページは自分たちの手で運営されてきました。(小野関さん、杉原さん、は故人)
ホームページには掲示板があり、誰でも自由にメッセージを書き込むことができました。私も母校の同窓会のホームページが出来たのが嬉しくて、掲示板に書き込みを行なっていました。現在は、この掲示板は閉鎖されています。
・・・・・<朋友会ホームページ掲示板(抜粋)>・・・・・・
1:里見絢子 さんの 訪問日: 2001年9月1日(土) 16時57分
朋友会ホームページ委員長の里見です。この度、ホームページを開設いたしました。皆様のご利用とご意見をお待ちしています。
15:廣瀬隆夫 さんの 訪問日: 2001年9月22日(土) 23時42分
高25期の廣瀬と申します。ホームページ開設おめでとうございます。このような新しい交流の場が出来たことは非常に喜ばしいことです。糸井重里氏が提唱しているインターネット憲章をお贈りします。
1.つながっていること(リンク)
2.情報が共有できること(シェア)
3.壁がないこと(フラット)
4.開かれていること(グローバル)
今後とも、このホームページがますます発展されることを祈念いたします。
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私は、高校を卒業して長い年月が経っていましたが、2016年の9月に娘(高70期)の文化祭で久しぶりで横須賀高校に行った時に校史資料室で珍しい写真を目にしました。昭和30年代の横須賀高校の航空写真でした。
校史資料室で説明をされていた先輩に、写真を見ながら校庭に相撲の土俵があったという話や木造校舎の建設の話や、当時の学生気質などのお話を興味深くお聞きしました。この写真は昭和34年4月~35年3月に撮られたもので、本館第一棟(A棟)の工事は1期と2期に分れ校舎右側に2期の足場が残っていることから35年3月28日の竣工式前のものだと教えていただきました。この年から、順次、鉄筋コンクリート造りの新校舎の建築が始まったそうです。
こういうエピソードをホームページで公開したらおもしろいですね、という話の中で、私が地域の団体のWebサイトを作っているというお話をさせていただいたところ、興味を持っていただきメールアドレスの交換をさせていただきました。その時、写真の説明をしていただいた方が朋友会の会報を担当されていた上田さんでした。
数日後、上田さんからホームページ委員会へ出席のお誘いを受け、2016年11月の例会に参加しました。ホームページ委員会は、横須賀高校のプールの近くの第2会議室で行われていました。委員会は隔月の土曜日に行われており、メンバーは、委員長の和田さんを中心に、石渡さん、佐藤さん、饗場さん、上田さんでした。上田さんは会報委員会ですが、ホームページへ会報の記事を掲載するなどの連携をするために出席していました。毎回、2時間にもわたる熱の入った議論が行われていました。
このような会議が、通算100回以上も行われていたことを後になって知りました。また、ホームページ委員会は、運用していくための詳細な資料を準備していました。
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・HP00000「ホームページ委員会総則」
・HP00001「情報掲載依頼の処理」
・HP00002「ようこそ先輩」インタビューガイド
・HP00004「同窓生ニュース掲載基準」
・HP00005 「Office宛メール」取扱基準
・HP00006 「同窓会ニュース」運用基準
・HP00007 「朋友会掲示板」運用基準
・HP00009「経費処理基準」
・HP00010「経費精算票」
・HP00012「リンクページ」運用基準
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その後、和田さんや佐藤さんにホームページの仕組みを教えていただき、少しずつ中身を理解していきました。ホームページは、HTML(Hyper Text Markup Language)というプログラム言語で書かれており難解なものでした。スタッフ用のページと本番用のページに分かれていて、厳密な校正を通らないと公開できない仕組みになっていました。16年前に、このホームページを最初に作ったスタッフの設計思想は素晴らしいと思いました。
厳密に設計されたホームページということもあり、同窓会ホームページのコンテンツの更新は、かなり労力と注意力を必要とする時間のかかる作業でした。
現在は閲覧することはできなくなっていますが、同窓会ホームページをご存知ない方のために、以前の朋友会のホームページにどんなコンテンツが掲載されていたかをご紹介します。
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「ようこそ同窓生」卒業生をホームページ委員会がインタビューして書き起こした記事
「恩師短信」恩師についての消息、教職員の異動
「記恩ヶ丘ポスト」同窓生が書いたエッセイや報告書などの投稿
「横高の草花」横須賀高校の庭い咲いている草花の写真
「朋友会あれこれ」校章の由来や報本反始の話、記恩ヶ丘や吉田庫三先生の話
「朋友会掲示板」誰でも書き込める掲示板
「同窓会開催状況一覧」同窓会の開催状況を、横須賀中学、横須賀高校の卒業期ごとに分類した一覧
「同窓生ニュース」卒業生が褒賞を受賞されたり、重職につかれたりした同窓生の情報
「私は何期?」卒業期と卒業年の対照表
「100周年記念ページ」2008年の横須賀高校創立100周年記念事業の経緯や講演会の報告
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私は、ホームページの更新作業を任されるようになりました。作業を行っていくうちに、この手間のかかる更新作業を改善できないかと思うようになりました。当時のホームページは、専門的なHTMLというプログラム言語で作って、FTPという通信ソフトでサーバに写真や文章を送るという方法をとっていました。特別な知識を持たなくてもコンテンツの更新ができるCMS(Contents Management System シーエムエス)というツールが開発されていましたので、それを導入してホームページを根本的に作り変えたらどうかと考えました。
2017年の1月の例会でホームページ委員会のメンバーにホームページの再構築の構想を説明して、3月には費用や運用方法を提案しました。同窓会ホームページの立ち上げ当初から技術担当として活動されてきた佐藤さんや委員長の和田さんと技術的な検討をした結果、この方法で行けるのではないかという結論に達しました。外部の業者に作成を依頼することも考えましたが、ムダなコストをかけずに自分たちで勉強して新しいホームページを作ることにしました。
新しいツールを導入してホームページを再構築するために、専門書を何冊か読み基礎知識を習得しました。朋友会で使用しているレンタルサーバ上に、代表的なCMSであるWordPress(ワードプレス)というソフトを佐藤さんが、2017年の4月26日にインストールしました。それから、同窓会ホームページの作成、コンテンツの移行という作業が始まりました。5月の連休を返上して異例の速さで作業が進み、5月8日には「ようこそ同窓生」などのコンテンツを含めた移行がほぼ完了し、5月28日の朋友会の総会に新しいホームページを間に合わせることができました。しかし、私たちが作ったホームページは採用されず、外部の業者に委託してHPを作ること、ホームページ委員会は解散することが総会で発表されました。私たちにとっては、まさに寝耳に水の出来事でした。
2017(平成29)年の7月9日に横須賀中央のモアーズシティの「つきじ植むら 旬泉坊」で朋友会の旧ホームページ委員会のメンバーが集まって解散会が行われました。旬泉坊は、2000(平成12)年 7月に朋友会の ホームページ開設準備委員会ができた時に発足式を行った思い出の場所でした。
ノウハウを持ったホームページ委員会がこのまま解散してしまうのは惜しい、今までの活動を継承して同窓生のために何かお役に立ちたいという話で盛り上がりました。そこで、旧ホームページ委員会のメンバーの手で、同窓生のためのホームページを、もう一度立ち上げようということになりました。解散式が急遽、新しいホームページの発足式になりました。
ホームページの名前は、横高生であれば誰でも知っている「記恩ヶ丘」にするということが全員一致で決まりました。ロゴには、先輩方に敬意を評して第四中学校、横須賀中学校、横須賀高校の3つの校章を入れようということになりました。会の正式名称は、初代ホームページ委員長の里見さんの発案で「記恩ヶ丘の会」となり、代表は旧ホームページ委員長であった高17期の和田さんが就任しました。朋友会のホームページ作成で長年、蓄積してきた技術を記恩ヶ丘ホームページに活かすことができるようになりました。
恩師からのエッセイやクラス会の開催報告、高校時代の思い出や三浦半島の美しい野鳥などの写真を、多くの同窓生から投稿していただきました。おかげさまで、たくさんの同窓生にご覧いただき、公開してから1年足らずの2018年9月の時点で、すでに5万8千アクセスを越えるまでになりました。平均して一日、100件を超えるアクセスがあります。2021年の時点では、平均400件を超えるアクセス数になっています。
新しい試みとして海外にお住まいの同窓生の方にも情報をお届けするために、毎月、「記恩ヶ丘メールニュース」を発行して同窓生の方にお送りしています。
朋友会の初期のホームページのDNAを受け継いだ記恩ヶ丘ホームページの代表的なコンテンツは次の通りです。
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■ フォトリポート 【美しい野鳥たち】【四季の草花】
■ 研究レポート 【記恩ヶ丘研究】
■ エッセイ 【記恩ヶ丘エッセイ】【記恩ヶ丘よもやま話】
■ ぶらり散歩 【ぶらり散歩】【京急大好き!】【記恩ヶ丘探検隊】
■ がんばれ同窓生 【ガンバれ同窓生】【記恩ヶ丘の著名人】
■ 恩師短信 【教職員の異動】
■ クラス会、同期会、横高の行事の報告 【クラス会・同窓会】【横高の行事】
■ 動画の投稿 【記恩ヶ丘チャンネル】
■ 私は何期?【卒業期と卒業年の対照表】
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写真やイラストを多用して、文章はできるだけ分かりやすく、文字数制限は設けないという方針で、自由で開かれた、ちょっと知的でためになる楽しいサイトを目指しています。以下、記恩ヶ丘の”こころざし”から引用します。
一人で出来ることは限られています。
みんなが集まれば、もっと、おもしろいことが出来るはずです。
熱い想いを語りあったり、ささいな出来事に一喜一憂したり、
美しいものに感動したり、不思議なことに驚愕しあったり。
同じ想いを持った仲間の輪を広げて、もっと人生を楽しもうではありませんか。
たくさんの仲間が、もう一度この記恩ヶ丘に集まり、
縦と横の糸を織り込んで、一枚の美しい絨毯を創るように、
世界のどこにもない楽しい交流の場を、みんなで作っていきたい。
これが私たちのこころざしです。
これからも同窓生のみなさんのご協力をお願いいたします。
掲載する写真や文章は、同窓生のどなたからでも受け付けております。⇒ https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/toiawase/
記恩ヶ丘の会の活動にご賛同していただきスタッフとして活動していただける方はお申し出ください。
【記恩ヶ丘ホームページ】
・記恩ヶ丘の会について
・記恩ヶ丘の会スタッフ
【参考】
・同窓会の歴史
https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/wp-content/uploads/2021/12/kiongaoka.pdf
https://kiongaoka.sakura.ne.jp/blog/wp-content/uploads/2021/12/kiongaoka2.pdf
正確な記述ありがとうございます。
ホームページ委員会の立ち上げの時から16年間、技術担当として、インターネットの発展に追従し、少しづつではありますが内容も進化させてきた自負があります。
併せて、メールシステムも導入し、会員からの情報を電子的に送受できるようにしたことで、事務局作業の効率化にも一役買えたと考えています(同時に、迷惑メールも多く紛れ込み、その監視も必要だったのは誤算でしたが)。
「同窓会ホームページ」が廃止されたときは非常にショックで、夜も眠れませんでした...。 横高OB(県横の呼び名はちょっと…)の名にかけて、外注に頼らず(費用をかけずに)、技術を磨いて(時代に合った)情報発信をしてきたつもりです。
歴代の委員長の牽引も、もちろんありましたが、代々の委員の方との熱い議論を経て、多くのコンテンツが生まれたことを、ここにに記しておきます。
廣瀬さんの委員参加で、さらに大きく時代の最先端の技術を用いて、かつ、今までのコンテンツのほとんどを継承できたたホームページを、一瞬でも構築できたのは、非常に良い経験でした。大きく感謝します。
が、本当にもったいないですね。なかでも、「ようこそ同窓生」は、先輩方も非常に頼りにした情報だと聞いています。
他に思い出したら、コメントします。
コメント、ありがとうございました。昨年の5月の連休は、私にとってもエキサイティングな時でした。佐藤さんと私でネットを使って同窓会ホームページを作っていったのですが、うまく行かなくて悩んでいると、ひと晩たって朝になると解決しているということが何度もありました。佐藤さんが夜のうちに直してくれていたんですね。ありがたかったです。「ようこそ同窓生」の移植は、あまりにも量が多いので途中でめげそうになりましたね。でも完成した時は達成感がありました。それにしても、このお蔵入りは惜しいです。新聞社の記者も記事のネタに使っていたという話もあります。社会的な損失です。
昨年の5月の連休は、ちょっと体調を崩していましたが、どんどん出来上がっていくホームページの姿にワクワク!
元気になっちゃいました(=^_^=)
お二人の技術と熱意とご家族の協力に感謝 m(_ _)m でした。
追伸:ホームページと同時に、事務局にもメールという手段が増え、待っていたように若い会員がどんどん利用して下さいました。とてもうれしかったです。
これがネットの醍醐味ですね。私も、アクセスカウンタが増えていくと、とても嬉しいです。
体調を崩されていたことは存じ上げませんでした。もうすぐ、一年経ちますが今から振り返ると皆さんに勇気づけられて頑張ることができたと思います。あの時の経験が記恩ヶ丘ホームページに生きているのかと思うと満更でもないですね。家族は、なんで、あんなに一生懸命やっているのか理解できなかったようですね。
廣瀬さんが書かれた「ようこそ同窓生」は、インターネットでちょいと調べて掲載したのではなく、実際にお会いしてエピソードをお聞きし、写真などもお借りして取材した努力の結晶です。これがお蔵入りになったのは無念というしかありません。
また、「朋友会掲示板」は、約400件の投稿があり、在校生の活躍など、その時代のトピックがいっぱい詰まっています。
これらのコンテンツを、何故に反故にするのかわからない。 諸先輩の力で復活もしくは記恩ヶ丘HPへの移設の署名運動でもしてくれないだろうか。
このインタビュー記事「ようこそ同窓生」は、ウイキペディアにもリンクされるほど有名なサイトでした。社会的にも重要なコンテンツになっていたんですね。記事を企画して準備してインタビューして肖像権の確認などをして文字起こしして内容の承認を得て、など、ホームページに載るまでには大変な労力と時間がかかっています。インタビューを受けた同窓生やインタビューをした同窓生の気持ちを考えたらお蔵入りなどにはできないです。
「朋友会掲示板」は、400件の書き込みがあったんですか。私も書き込んだことを記事にも書きましたが、掲示板に書き込むには勇気が必要なんです。自分の意見がインターネットに放たれて、世界中の人に読まれるのですから。投稿した会員のそんな気持ちを考えたら疎かにはできないですよね。
これらのコンテンツは、費用の問題で、今の朋友会のホームページで公開できないのであれば、記恩ヶ丘ホームページでは、いつでも公開する準備はできていますよ。
そうですね。技術的にはいつでも公開可能です。
非公開なのは、費用の問題だけではないような。
いちど公開してしまうと、活動継続が求められて、今のやり方(少人数で全てやりたい)では、そんなのできない!なのではないかと憶測します。
もっとみんなで活動すればよいのに。・・・と思う今日この頃です。
「ようこそ同窓生」を公開したら、活動を継続しないとつまらないですからね。記恩ヶ丘の会は、企画からインタビュー、文字起こしまでできる人材がいますので、技術面だけでなくアフターケアーまでできる準備が整っています。まだまだ、「ようこそ同窓生」で紹介したい朋友はたくさんいますよ。