江戸しぐさ第四講 江戸しぐさとは?

【失せもの捜しのしぐさ】
2,3日前に犬のしつけについて書いた新聞を見かけましたが、犬は3カ月のあいだにいろいろ教え込まないと野生になっちゃうと言われていますが、人間も犬と同じで、ある年齢になるまでにそう言うしつけをしなければいけない。そうしないと人情の機微なんてわかりませんよ。六十、七十は失せもの捜しのしぐさと言うんです。私なんても、こういう書類をいろんなところに入れてしまってどこにあるか何時間も捜し回ることがよくあることなんです。けれど、年を取ったら、それが当たり前だと考えるんですね。年寄りに、そういう記憶させたりなんだりをさせるなということなんです。

会社だったら、秘書がいたり、大学の先生だったら助手が付いたり、そういうふうに若者が細かいことをやって、今の言葉だったら、クリスタルインテリジェンスというんですか、判断とかいうのは、年取っても衰えないんで年寄りはそれをやる。でも、記憶力は衰えていますよ。本当にばかになったんじゃないかと思うこともあります。それは、ボケたとかそういうんじゃなくて、人間として当たり前のことだと考えると随分気が楽になるんじゃないでしょうかね。そういうことを、すごく研究しているんです。

【江戸の共生社会】
だから、建物とか道路のような江戸のハードも素晴らしいんです。外国人が日本に来た時、きれいな町だと誉めるんです。玉砂利なんか洗ってあって、裸足で歩けるくらいだったようです。でも、この町のハードをきれいにメンテナンスするのは、人々の働きや考え方であって、たとえばイラカの色をそろえるとか、家を建てたら、外観はみんなのものになると言う、共生のルール作りをどんどんやっていくわけですね。生き生きと生きるためのノウハウというか仕掛けとかルールとかを作っていくんです。それが、江戸しぐさと言うものなんです。

四方見渡せる商いの町を目指していたんですから、そのころは、江戸しぐさとはいわないで商人しぐさ、繁盛しぐさと言ったんです。それを、江戸しぐさと、うらしま先生が命名したものなんです。江戸しぐさは、いくさといじめを未然に防いだ、江戸町衆の感性と嗜好、センスなんです。とにかく、お上が決めた士農工商という封建的な仕組みがあるわけですが、当時の江戸は世界の大都市ですからね。このころ、アメリカのニューヨークの前身のニューアムステルダムとかは7万人くらいしか人口がいなかったということからも、如何に江戸が大都市だったかが分かります。下町の自治権を持って、江戸には、お互い対等に思いやって時泥棒をせず、気持ち良く生き、共生のための平和なしぐさがあったんですね。

【江戸しぐさは瞬間芸】
ものの考え方、思草、本当のしぐさはこう書きます。思う草、考え方なんですね。哲学ですから考え方、生き方が重要なんです。常に相手を思いやる物の言い方、これが重要なんです。今、この物の言い方がひどいんですよ。あいつの言い草が気に入らないとかでしょっちゅう喧嘩になるんです。江戸では言葉の使い方をトレーニングしたといいます。それと身のこなしですよね。これを瞬間にパフォーマンスする、思いを形にあらわす、表現する、とっさの瞬間芸なんですよ。

例えば、傘かしげっていうのを、のろのろやっていたんじゃ、だめなんです。ぱっと瞬間に出る、瞬間芸になっていないとダメなんです。江戸では体談って言ったんだそうです。体で話す。これをトレーニングするに従い、洗練されて、格好良くなっていくんでしょうね。お互い、ものを伝えあう、コミュニケーションが上手になるんです。言わなくてもよいことを言う、これは、「江戸のばか」と言うんだそうですが、偉い人の間でもあるんじゃないでしょうかね。言わなくてもよいことを言って大臣職を失った人もいるくらいです。

しぐさを繰り返しているうちに癖になってしまうんです。江戸しぐさは「江戸っ子のくせ」と言われる由縁なんですけどね。特に上に立つ人のしぐさであることが重要なんです。下の人が平等を言うんでなく、上に立つ人が下を見て人間はみな平等であるという考え方、生き方は美しいと思うんですね。こう言う人たちは、さぞ、見るからにいきだったんでしょうね。やがて、そのような江戸しぐさは一般町人を巻き込んでいきます。最後には長屋の熊さん、八さんも見ようみまねで江戸しぐさもどきをするようになるんです。商人の江戸しぐさとは違うとは思いますが、当たり前のようになってくるんです。みんなの道徳という小学校六年生の副読本に江戸しぐさの話が載っています。落語化してあって本当に江戸しぐさを理解しているとは思えないんですが、熊さん八さんが花見に行って、ごみを片付けるというような話が江戸しぐさとして書いてあるんです。

【指きりげんまん、死んだらご免】
上に立つ人が一所懸命考えて、この町を繁盛させるにはどうしたら良いか、外交と赤の他人との付きあいをものすごく大切にしたんです。仲の良い人は問題ないんですよ。始めて会う人とか全然関係の無い人に対してどのように付きあうのかを問題視し、それに力を入れて、功を奏してそういう町になったんです。だから決して自然発生的に生まれたものじゃないんですよ。上に立つ人が、会社でも同じでしょうが、一所懸命考えたんです。そこを見逃しちゃいけないと思うんです。

こういうアクションは、親は子に、先輩は後輩にどんどん伝承されてきたものなんです。昭和の初期ころまであちこちで見られたそうです。子供たちの遊びのなごりで、指きりげんまん、嘘ついたら、針千本飲おます、っていうのがありますがその後に、本当の下町では、死んだらご免っていうのがあったんです。人間はいつ死ぬか分からないと言う意味と、死なない限り忘れないと言う意味があるんです。

このなかにも一人ぐらい思い当たる人がおられるんじゃないでしょうか。でも、今は、自分の子供や孫に教えてないんですね。埼玉県のビデオを作ったときに中学生の男の子が言った言葉が忘れられないんですけれど、大人たちは、なぜ、この美しいしぐさを教えてくれなかったんですか、と聞かれたんです。

⇒ 江戸しぐさ第五講 江戸しぐさの真髄

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です