▶先生は往生際が悪い(小川省二先生)
私は、終戦間もない昭和二十二年から18年間、横須賀高校で教壇に立っていました。ここは戦前の軍関係住民が多い土地柄であり、軍人遺族の子弟も多数おりました。その生活状態を物語るように、着任して数年間は在校生の半数ちかくが下駄はきの登校でした。しかし、彼等に貧苦の影は見えず、明るさにあふれ、一様に強い向学心に燃えているのでした。
塾のない時代です。放課後、生徒達は各教科の入り口から廊下に、質問待ちの長い列をつくっていました 思えば、古く懐かしい風景です。入学式のとき幼さが残っていた生徒が三年後には、立派に学力・体力をつけて卒業してゆきました。やがて彼等は様々な分野で活躍し、敗戦国日本の復興に大いに貢献したのでした。
昨年の十月、その下駄ばき時代の同窓会があり、 私が「君らも歳とったね。当然のことだけれど、私はもっと歳とった。私は今月で九十三歳になる。もし、死んだら私でも大往生なのかな」と言いました。すると、卒業生が「先生のは単に、往生際が悪いということだと思います」「成る程、そりゃあそうだよな」
「まだ続きがあります。ですから、先生にはこれからもずっと往生際を悪くされ、百歳を超えて、われわれを見守って欲しいのです。お願いします」
今年も又、彼等と楽しい会を共にすることができました。(平成30年 小川省二)