▶教師の生きがい(小川省二先生)

昭和五十年に始まった日教組の主任制度反対闘争は田中角栄首相が「学校の先生はお気の毒だ。職場には一般教員と教頭、校長の三つの段階しかない」と言ったことが発端といわれている。首相は会社、官僚組織を見る目で教員の職場を見たのであろう。教師の殆どは定年のその日まで、採用時と同じ仕事をし続けるのが普通である。私は管理職は教職員ではないと思っている。

教師は自分のクラス、受け持つ教科の生徒の成長を手助けし、見守り共に喜び、苦しみ合う。この繰り返しで生涯一教師として終わる。その間、数多くの感動に遭遇する。その都度、教師になって良かったとしみじみ思う。これが金銭では計れない教師への無上の報酬であり、生きがいなのである。お気の毒とは、いささかお門違いであろう。

たまたま、私は小泉純一郎さんの高校時代、彼のホーム担任であった。総理在任中のある会合で、彼と私が話し込む姿を見て、同席の幹事長の武部勤さんが「まるで親子の様だ」と呟いたのを耳にしたことがある。少し前、彼が独りで拙宅にやってきた。半日、楽しく語り明かし、帰り際に私が「脱原発と平行して、大気汚染の深刻さも考えないとね」とアル・ゴアのDVD『不都合な真実』を「勉強して」と手渡した。

思えば、私の米寿、金婚、卒寿などの祝い事も彼が主催して祝ってくれた。確かに教え子だが、あちらは内閣総理大臣、こちらは一介の田舎教師、申し訳ないという気持ちもなくはない。しかし、これも教え子たちから数多く受けた教師の生きがいの中の一つなのだと、ありがたく受け止めている。(平成30年 小川省二)

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