▶ぶらり散歩「走水と馬堀 後編:走水小学校と馬堀小学校」(高22期 高橋揚一)

■ 散歩の経路:走水神社→走水小学校→馬堀小学校(2024年4月25日)

後編は走水神社から。日本武尊と弟橘姫命を祀る1,000年以上の歴史ある神社。走水の地名は古事記にも日本書紀にも登場する。

走水漁港には漁船のほかに釣り船も多く停泊。漁港裏の旗山崎は走水低砲台のあった場所。土日や祝日は一般開放されているが平日はガイドツアーのみ入場可能。

旗山崎の隣には日本で一番海に近い走水小学校。横須賀港に面した校舎からは猿島や遠く富士山が眺められる。これほどまでの風光明媚な教育環境は希有ながら児童数の激減で二部式授業の学年も。児童たちが考案した「よこすか海軍カレーのりふりかけ」や「おいしい走水の水」などを商品化する総合的な学習を行う地の利を活かした教育が盛んに行われているにもかかわらず今年度で廃校となり隣の馬堀小学校に統合されてしまう。

「おいしい走水の水」はミネラル豊富で口当たりの良い中硬度の走水水源地の水。1日約1,000立方メートルも湧き出ている。

馬堀海岸が埋め立てられる前までは走水は陸の孤島で海が時化ると交通の往来もままならず狭くて暗い2本の素掘りのトンネルのみが通じていた。脇には玉姫稲荷大明神がひっそりと構えている。

走水トンネルを抜けると馬堀小学校前の交差点に出る。かつて右側への道路はなく岩場と砂浜の間を仕切る桟橋があった。

防衛大学校方面への道路との角に浄林寺。坂の上の馬頭観音には馬堀の地名の由来となった名馬池月の像がある。

馬堀小学校と隣の馬堀中学校は旧陸軍重砲兵学校の校舎の流用だった。小学校は少ない児童数のため片側の教室を除去して教室よりも広い廊下で卓球台が置かれてさまざまな展示の場ともなっている。校舎の裏の階段を登ると「学園」と呼ばれた施設があり昭和天皇が立ち寄った行幸の間が保存されていた。「学園」には宿泊施設があって希望者はクラスごとに1週間寝泊まりして通学する制度があり夏には全校児童による海岸の清掃が行われ水泳教室も開かれている。

今回の散歩では走水小学校でも馬堀小学校でも校長をお訪ねできた。お2人とも新たな学区ができてそれぞれの利点を持ち寄って児童たちの見識が広がっていくことを期待されているご様子。安堵した気持ちで帰宅できた。

    ▶ぶらり散歩「走水と馬堀 後編:走水小学校と馬堀小学校」(高22期 高橋揚一)” に対して2件のコメントがあります。

    1. 高橋克己 より:

      中2の時に、先生と3年生数名に引率されて、走水小学校で合宿したことがありました。昼間は海で泳いで、夜はグループに分かれて寸劇をした記憶があるので、おそらく一泊したように思うが、日帰りだったかな・・
      夜は、例によって私が出しゃばってシナリオを書いた寸劇がコケて、まったく受けなかったこと、昼間は、裸足で階段を駆け上った拍子に、金属のすべり止めで足の親指の先を抉ってしまったこと、の二つを今も鮮明に覚えています。
      その走水小学校、廃校になるんでしたっけ?

      1. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

        走水小学校は今年度で馬堀小学校と統合されて以降は馬堀小学校の校舎を使用することになるようです。

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