▶咸臨丸フェスティバルとポップサーカス(高22期 加藤 麻貴子)

4月27日(土)第49回咸臨丸フェスティバル式典に参列してきました。

オランダの造船所で建造されたスクリュー式蒸気帆船の咸臨丸は、1860年に日本の軍艦として初めて、太平洋横断を成し遂げました。それを記念して毎年式典が行われています。以前は咸臨丸出向の碑がある愛宕山で開催されていましたが、現在は浦賀ドック跡地(旧住友重機械工業(株)浦賀工場内)で湾を背景に行われています。

今年は特別に浦賀ドックに設けられたサーカス特設テント内で行われました。式典では上地市長、駐日オランダ王国大使、駐日米国大使、外務大臣(代理)が祝辞を述べられました。中でも米国大使は荒波を乗り越え太平洋を渡りサンフランシスコに到着した約百名の乗員が歓迎を受け両国の懸け橋となったこと、乗員の多くが明治維新後の日本の近代化に多大な貢献をしたことなどを盛り込んだ祝辞でした。

そして流暢な、とても自然な日本語で話されたのです。今まで参加した式典で初めてのことで驚きました。私の周りからも感嘆の声が上がり、多くの参列者に感銘を与えたと思います。また海上自衛隊横須賀音楽隊の演奏も式典に花を添えていました。

そしてポップサーカスのショータイムです。地域の人たちに30分ほど演技を披露してくれました。ジャグリングやアクロバットの素晴らしい演技に目を見張りました。

4月27日から6月23日までの興業です。人がここまで出来るアクロバットは一見の価値があります。

    ▶咸臨丸フェスティバルとポップサーカス(高22期 加藤 麻貴子)” に対して14件のコメントがあります。

    1. 高橋克己 より:

      咸臨丸のことは詳しい方に任せて、住友重機の話を少々。少し前に浦賀まで足を延ばして「浦賀ドック」の「今」を見て来ました。外壁に何枚か故事来歴を記したパネルが貼られていましたが、昔を多少知る者としては寂しい限りでした。
      追浜の住重も造船からは撤退するようで、これもまた寂しい。20年ほど前、仕事を通じて懇意にしていた方が追浜事業所の副所長だった関係で見学させてもらったことがあります。
      造船中の船の上の方まで案内して頂いたのですが、その想像以上の高さに、高所恐怖症の私は早々に降ろしてもらいました。彼は石川の出身で、高校(or中学)時代に相撲大会で後の横綱輪島に勝ったことがあるが自慢でした。
      それからしばらくして、「YTY」の佐々木滋(高22期、歯科医)から「住重の○○さんと克己の話をしたよ」との電話。聞けば商工会議所だかの寄り合いで一緒になったとのこと。出会いは色々なところであるものです。

      1. 加藤麻貴子 高22期 より:

        造船からの撤退はさみしいものを感じますね。今、思うと日本丸や海王丸を建造していた時が一番の盛りだったのでしょう。日本丸の進水式には現在の上皇陛下と上皇后もお見えになりました。

    2. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      浦賀には幕末からの歴史遺産が多く残っていますね。
      私は馬堀で育ちましたが子供の頃は浦賀は山の向こうの遠い町でした。横横道路が馬堀海岸まで開通した際に実家の前の行き止まりだった道が浦賀インター近くまで通じて歩いて数分で浦賀に至ることを初めて実感したほどです。初恋の子が小学校3年で浦賀に転校してしまい随分遠く離れてしまったと思いましたが残念なことをしました。
      今は馬堀に実家はなく横須賀は遠くなりましたが浦賀の奉行所跡や渡し船や東西叶神社などを巡ってぶらり散歩をしてみたいと考えています。

    3. 加藤麻貴子 高22期 より:

      100年間造船の町として栄えた浦賀も住重が去って約20年、町は寂しくなるばかりです。でも観光客は20年前より増えているようです。奉行所跡は今は元住重の社員アパートも取り壊され、更地にコンクリートが打たれています。少しがっかりするかもしれません。登るのに覚悟が要りますが千代ケ崎砲台跡はおすすめです。

    4. 松原隆文 より:

      もう大分前のことです。鷹取団地と横須賀市の共催で「住まいの有効活用」(実質は空き家対策)と題して、鷹取小学校の体育館で講演を行い、50分ほど遺言の効用を講義しました。
      その後、個別ブースで相談会をやりました。浦賀の不動産業者さんも参加していたので、「浦賀ドック跡地は最後のフロンティアではないか?あそこに高級マンションなど建てれば良いのでは?」と言ったんですね。
       正に豊洲の土地汚染が話題になっていた時でした。浦賀の業者さんが「あそこは何が出てくるか分からない。豊洲どころではないですよ!」と言ったのを記憶しています。
       以前、浦賀ドックで社有地の売買をした際に構内に入ったんですね。その広さに驚かされました。だから私からこういう言葉が出たんですけどね。戦前は軍艦を建造してましたからね。

    5. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      昨年指宿光明のブルーベリー園に家内と訪れたついでに千代ケ崎砲台跡にも行きましたが立入禁止でした。近くに蜂蜜を売るファーマシーガーデン浦賀があるのではと探しましたが何もなく電話で問い合わせて蜂蜜は東浦賀の宮政商店で買いました。燈明堂には立ち寄りました。

      1. 加藤麻貴子 高22期 より:

        お疲れ様、残念でしたね。千代ケ崎砲台跡は土日祝祭日だけかもしれません。ガイドさんと回ると良いと思います。宮正商店の裏に「One Copain」という美味しいハードパンのお店が今年の4月に開店、木曜日から日曜日まで10時から3時ころまで営業してます。店主の女性は美味しいパンを食べてほしいからととてもリーズナブルなお値段です。

    6. 松原隆文 より:

      燈明堂というところは海岸で日当たりが良いのにも拘わらず、私は何か、もの悲しい空気を感じます。
       比較するつもりはありませんが、三浦の雨崎という場所は大きな岩に松が生えて本来明るいはずですが、妖気を感じるような場所で地元の者は滅多に行きません。

      1. 加藤麻貴子 高22期 より:

        燈明堂はこれからの季節の休日は海水浴客で賑わいます。しかもかなり遠方からも来ています。地元の人も良く遊びに行ってます。

    7. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      三浦の雨崎はナチュリストの集まるところでは。日本ではこういったところしかありませんが欧米では明るいところばかりです。私はフランスのルヴァン島とデンマークのティスヴィルデレイェ海岸が好きです。

    8. 松原隆文 より:

      コロナ前の話ですが、雨崎周辺の農家のおばさんたちは、畑の近くに突如ヌーディストが現れたりして困っていると聞きましたよ。

    9. 高橋揚一(高22期6組大西昭先生学級) より:

      日本では合法化された場所がないので困りますよね。日本ではダメですよ。

    10. 高橋克己 より:

      同級生にフラダンスをしている方がいて、先日の咸臨丸フェスタで2曲踊ったとのこと。
      お父様が浦賀造船所で働いていて、子供の頃一度だけ進水式を見に行ったことがあるそうで、踊りながら懐かしく思い出したとのことです。

      1. 加藤麻貴子 高22期 より:

        子供の頃私も祖母に連れられて進水式を観に行き、見られなかった記憶があります。祖父が海軍の軍人だったので祖母は戦前進水式をよく見たそうで、懐かしかったのでしょう。でも時間を間違えたのか浦賀に到着した時には終わっていて、大層がっかりした祖母の顔が思い出されます。

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